キルケゴールは、その「ほんとうのキリスト教」のなかでは「すべての人間が平等である」と云った。しかも「不平等」を認めた上で、人間はそもそも不平等であるのだと、それを認めた上で、それが人間なのだと認めた上で、平等なのだと云い切った。
荘子の思想の根幹の一つにあった「絶対無差別」、この世のものに元来差別など無かった、というのに呼応した。
ブッダもそうだった。かれらは時間的なもの、この世に限定されたもの、それを超えた永遠的なものを見る人たちだった。
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モノが進化すりゃヒトは退化する
いにしえから言われてたことを繰り返す
モノに支配されちまうんだ
モノに、モノにされちまうんだ
「わかる」ことは実践しないと
何もわかっちゃいないことになる
いくらアタマでわかってたって
「分かる」は「分ける」ことから来てるったって
人間が、さかしらな頭でつくった基準にすぎない
生きることに生かされなきゃ
アタマは何の意味もない