飛行場

 九十何才の友達は、いつも朗らかだ。
 戦争の時代に生まれ、幼児期を満州で過ごし… 奈良で手作りの日傘職人として生計を立て。
 九十年も生きれば、いろんなことがあったろう、それもぜんぶ笑い話にするほど朗らかだ。ほんとに今を生きてる人だと思う。
 そんな彼が、一度だけ、笑顔を見せずに話してくれたことがある。銭湯で、ぼくが湯船の縁に座って身体を冷ましていた時だ。彼が横に座ってきて、「〇さんがなぁ…」と。
 彼には紙ヒコーキ仲間がいる。奈良公園などで、一緒に手作りの紙ヒコーキを飛ばす仲間が。
 その一人、〇さんが亡くなったというのだった。
「あんなに元気だったのになぁ」
 ついこないだまで、一緒に元気に、紙ヒコーキを飛ばしていたらしい。ぼくも一、二度、その姿をお見かけした。紹介もされたと思う。
 そうなんですか…。こういう時、何と言葉を返していいのか分からない。
 しんみりするYさんは、しかし自己完結するようにゆっくり何か喋ってくれた。
 相槌をうって聞いていたぼくに、自分に言い聞かすように何か言っていた。そして身体を拭いて、脱衣場へ出て行った。

 もう十年近いつきあいで、そんな頻繁に会うわけでもないが、後にも先にもこの時が初めてだった、Yさんが神妙になって、笑顔を絶やし、話してくれたのは。いつもはほんとに冗談ばかり言い、「気」のベクトルが内向するような人でなかったのに。
 だが、その後「飛行場」で会った時は、いつものYさんだった。
 切り替えるとかいうのではない。今を生きているのだ、明るく、朗らかに。

 九十歳にもなれば、今しかなくなるんだろうか、いつ死んでもいい、今生きてることに感謝するしかない、そんな気持ちになるんだろうか。
 それも、健康であることが土台であることは間違いない。彼は今も毎日一万歩歩いているのだ…
「ここまで来て、コロナなんかで死にたくないからな」イタズラっぽい眼をして真っ直ぐこちらを見つめ、笑わせてくれる。
 インフルエンザとともに、コロナも第十波? まだまだ健康に気をつけて、「自分のために」歩き続けてほしい。
 死ぬときゃ、ぽっくりいきたいなぁ、などと言っているけれど…。