クーベリックさんのモーツァルト

三つ目の大ミサ曲。一話目のと、ガーディナーさん、このクーベリックさん。
同じ曲でも、違うんだよな、味。

ルチア・ポップという人に魅入られる。四重唱はやばかった。柔らかくて、しなやかで、世界、包み込まれる。でも、こまやかで、繊細で── 大きいも小さいも、同じことだ、エネルギー…

クレンペラーさんといえば、ジュピターを楽譜通りに演奏した人だ。あの第四楽章の繰り返しもやばかった。巨大な木星の自転を見たよ。永遠みたいに、でかかった!

声、音というのは、すごいものだ。
見えないものどうし、心と。
いっしょくたになるのかね。

厳しさ、優しさ、悲しみ喜び、軽さ重さ… 親しみ、お茶目さ、清らかさ… 汚らしさがない… 洗われちゃうのかね。洗い流され… 時間なら、今も流れてる、今も、今も。
きれいなものなのかもしれない、流れる。
きたない、きれいもなく。

穢すものがあるとしたら、心ってやつかい?
繋ぎ止めようとする、堰き止めようとする── そのままでいられない、心ってやつかい?
あの、美化されがちな。
この頃は、見向きもされない… 恥ずかしいのか、隠しているのか… 隅っこにいる、縮こまっている、あの心とか呼ばれるやつかい?