「我」が立ち起こる、というのなら、最初は周囲に対する子ども時分のそれで、おとなになれば最終的に行き着くのは自己否定になるだろう。自己否定によって「我」が、古く、旧知の友であった「我」が、もぞもぞと自己自身を蠢かせ、まわりのことより自分第一へ、あたかも新しい自己であるかのように、それは一種の刺激であるから── あられもないそのままの姿で向かうのだ。羞恥心さえ持たず、自覚もせず。
さいごは自己へ帰る、帰るが行くことになる。「還る」が相応しかろう。
他者と自己がひとつになることはあり得ず、自己と自己がひとつになる、そしてひとつにもふたつにもならない。ひとつになることはひとつでないということである。われわれは、ひとつになることはない。どんな接点があり、どんな共通の話題、共通のテーマ、共通の共感、があったとしても、それは「ない」のだ。
これを残念と思うも喜びと思うも、各々の勝手である。「思う」、どう思うも自由そのもので、そう思うことを自分で選ぶということにすぎまい。
自分の思うように相手がなってくれない、相手の思うように自分はならない。「なる」、なろうとする意志、意思に関わらず、お互いに常に異なった存在である。それぞれに、相手のイメージに対して(自分ひとりの抱く)相手に接し合っているのであって、お互いに、まったく、実は「別人」と接している、と言っても過言でない。ただ相手の顔を知っており、名前も知っていて、知っているような相手だから、まるで知ったように接しているだけである。
さて、このとき私は何を否定していることになるのか。
相手を否定しているのか。自分を否定しているのか。
ところが、肯定もしているのだ。「違う」「異なる存在である」ということへの肯定を。これは、違っていることを肯定していることになる。すると、「違っている」ということが、そもそも否定だったのであろうか。
違っていることは事実である。逆に考えてみよう、否定されるものとして。こちらがする前に、既に事実は私を否定したのだろうか。それは思い当たる。私は否定されたことがある。
すると、相手、周囲、この「人」のいる事実から否定されるということは、やはり私が否定されるようなことをしたのだということになる。
だがこの周囲から否定されるということは、私自身が何か周囲と異なった存在であったからだろう。私は否定されたくなかったが、否定されるべき何か言動をとったということである。
幼少期、まだ大人から、親から、絶対服従するしか術ない幼年期は、誰もが有する時期であったろう。
モンテーニュ、セリーヌ、キルケゴールと読んできて、彼らに共通する「子ども(の頃の人間)に対する接し方」として、子どもに学ぶ、子どもから学ぼう、とする姿勢がある。
教育と称して、何でもかんでも上から抑制する、「こっちが教えてやる」姿勢でなく、「子どもから教わろう」とする大人の姿勢がある。
子どもから教わることは実際たくさんあるのだと彼らは云う。(おそらくソクラテスの子どもへの接し方もそうだったのではないか)
子どもも大人も、単なる線引き、区分けにすぎない。ただ事実として、子どもは誰もが天才である(ピカソ)。その才を抑えつけ、くだらぬ大人になるよう、くだらぬ大人から「教育」される洗礼期間が学校だとセリーヌは云った。そのことについて、自分は何もいえない。だが、そうだろうなぁと思う。
この世の悪習、虚栄心、足の引っ張り合い、言葉の空虚さの氾濫。関係の無機質化。 カネ至上主義の腐り切った空気!。これらがもし変わるとしたら、結局使いたくもない言葉、「教育」を介して、ということになるんだろう。
大人の、子どもに対する姿勢、精神的な位置── 身体的には上から目線にならざるをえないとしても、精神の足場まで高い位置にあるという錯覚。
その大人は、まず自分自身との関係を。いつだってそうだ、自分との関係が、人との関係になる。通じていく。子どもへの接し方、教育云々、そんな話でもなかった。反省、省察、鑑み。何より大切な時間と思う。