ぼくは宗教をもっていないが、椎名麟三がクリスチャンだったので、その著書の中にはキリストのこと、聖書についてのことが書かれてあるものが少なくない。自然、聖書の中の部分部分を読むことになる。
中でも、イエスの復活の場面についての椎名麟三のこだわりぶりには、放っておけないものがある。延々と数ページに渡って、この復活の場面について書かれている。(椎名麟三全集14、冬樹社)
イエス・キリストという、人だか神だか、ともかくその存在は、一度死んで、生き返ったらしい。これが、復活というものであるらしい。
椎名麟三がこだわっているのは、その復活の場面である。
呆然とする弟子たちの前で、
「わたしは幽霊ではない。ほれ、ここに手がある、足がある、ほれ、ここにちゃんとある」
というふうに身振り手振りし、そしてわざわざ焼き魚をむしゃむしゃ食べてみせ、自分はここに生きて存在しているのだということをわかってもらおうと懸命に努力をしていたという、その場面である。
その場面を想像すると、ぼくは微笑みをとめることができない。ゆるめられる心地がする。
ここに自分がほんとに居るのだということを、一生懸命、わかってくれ、信じてくれというふうに、手を動かし足を動かしするその健気な挙動は、生きるということ、この世に生きるということの、全く根本的な本能的な胎動のようにさえ思う。
この描写を読むと、キリストが実在したかとか、神を信じるかとか、そういうことは、もはやたいしたもんだいでなく感じられる。
肉体の存在を示し、魚をむしゃむしゃ食べて示し、手足をばたばた動かしてみせたというような、まるで必死の、懸命な挙動を示したそのひとの前では、愛のような、いとおしささえ感じてしまう。