私の少ない読書量の中で、椎名麟三は特別な位置を占める。たぶん文学界、日本文学の中でも、特異な存在であろうかと思う。
これは椎名さんに限ったことではないが、昔の文学者── ここ4、50年以前の文学者は── 無理をしていた、ような気がする。「である」「なのだ」という文体、それが当時の時代性であったにしても、そこには、そこからどこか「無理さ」を感じてしまう。
「である」「なのだ」。断言しなければ、ならなかったのだろう。責任感の強い人ほど、断言しなければならなかったのかもしれない。
だが漱石は、この「断言口調」が自然に見える。漱石は根っからの、まことの文学者だった気がする。
「とかくこの世は生きづら」かったろう漱石。奥さんからは「精神異常者」と見られていたとかいう話もある。イギリス留学中、「漱石は発狂した」との報が日本に届いたとかいう話もある。
まったく、生きづらかったろう。
── 文体の話。「~である」「~なのだ」は「思う」である。
その「思う」を、「である」口調とうまく合体させたような、そして「うまい」という技法を装飾でないように「我」もそこに同居させた、そんな作家が山川方夫だ。
昭和…中期?の人だったろうか。完成された文体に私には見える。そこには、並々ならぬ努力があったろう。決意、覚悟も。山川さんにとって文学は、生きることに直結していた。精神的基盤においても、実生活においても。
自分から、そっちへ自分を持って行ったのか。それしか生きる道がなかったのか。その足は、その道に行くしかない足であったのか。そんなことはどうでもいい… よくないか。
くらべることはしまい。漱石がいて、山川さんがいて、椎名さんがいて… 荘子がいてキルケゴールがいてモンテーニュがいてニーチェがいて。
私が、それを知れただけで。ほかほか、微笑める。
── 文体の話だった。「思う」を断言口調で書かせたもの… その紙に書かれた「自我」、それが本物であったのかどうか、というようなことを私は書きたかったのか。
(私は)こう思う、を、「である」とし「なのだ」とし、断定した・断定されたところのもの。
それを書いたのは、人であろう。だが断言された文は、あたかも文そのものとしてひとりで歩いて行くかのようだ。
それを書いた人は、書いた自己と切り離されたように、その文を見送るだろう。そしてまた書かねばならぬ仕儀に陥るだろう、それが仕事であるなら尚更に。
自己を、超えていくように?
超えずに、そのものになったのが── 漱石らしい。私の中では。