「荘子」には、ずいぶん救われた。
孔子の儒教、儀礼や形式、カタチばかりを重んじることへの反発から生まれたかのような老荘思想。
荘子は、隠者であることをヨシとした。自分のことを、あまり人に知られず、ひっそりと穏やかに生きることを望んだ。
後世に名を残そうとか、世のため人のために業績をあげようとか、そんな野心や計らいを拒み、ひとり水面に釣り糸を下げ、風に戯れ、木々のそよぎに安逸する── そんなイメージが私にはある。
恵施という友達がいたが、出世願望、欲に囚われ、実際ある程度そういった地位、立場の職に就き、荘子は少なからず嘆いた。「出世した」ということにではなく、そのような欲に囚われてしまった友達を、悲しんだ。
荘子本人は、生活のために荘園で働いていた、といわれている。しかし、紀元前3、4世紀の話。まして「隠者」であることを望んだ荘子が、どんな人生を送ったかといった詳細など、知る由もない。
「荘子」が書物として残っているのは、その思想を弟子たちが引き継ぎ、言葉にしたものが残っているにすぎない。
「内篇」「外篇」があるが、内篇が、荘子本人の思想に最も近いとされる。
私が荘子に心酔したのは、生と死について「差別をしない」とでもいうべき考え方だ。
この生命に対する見方は、「生ばかりを重んじ、死を忌み嫌う(蔑視する、軽んじる)」世の風潮を、常々おかしいと感じていた自分に、心強い味方を得たような、同じ考えの人がいてくれた!と知れた、大きな、大きな喜びを与えてくれた。
生だけで、どうして生命が成立しよう。死があり、生があり、生と死は同列、平等である。生ばかりを尊重するのは、片手落ちの、偏った、身勝手な、生命を差別する見方である。
このような生命に対する見方・考え方は、あらゆるものの見方に通ずる。万物はすべて、無差別であるのだ。それが自然のすがたである。人間が差別化を計っているだけで、しかもその人間の歴史など、馬が一瞬駆け抜けるほどの短いものではないか。
ありのままで、ありなさい。人間も、自然の一部、ほんの一部でしかないのだ。
荘子は、自然というものを信じていた。おのずから、しかり。そうして、万物がある。すべてのものが、道である。この道は、道、とあえて呼称するが、言葉で言い表せるものではない。──
神でもない。仏でもない。創造者、造物者であるけれど、むろん「者」ではない。
それは人為や人智を越えた、及びもつかぬ、大いなるもの。
自然に従い、自然のままに、生きるがいいよ。
荘子は、言下にそう言ってくれた。