ラジオの「高校講座」を聞いた。「倫理」。
デカルトの「二元論」、ロックの「社会契約論」。スピノザも出てきた。
そうか、二元論とは、カラダとココロ、物質と精神のことをいうのかと思った。デカルトによれば、人間以外のもの、動植物は、すべて物質であるという。人間だけが、精神、ココロをもっている、と。
デカルトも、ずいぶん悩んだらしい。大変だったね… でも、よくやった!
聞いていて、わくわくする放送だった。そうか、哲学は高校で学ぶ教科なんだ、「倫理」なのか…。
ほんとに「考える」って素敵なことだ。まるで無限の可能性に羽ばたける気になる。
でも「論」なんだよな。それは仕方ないとしても、つらいな。
やっぱりオレぁニーチェやキルケゴール、荘子、モンテーニュの方が好きだな。
紀元前、ブッダは「心も、心臓や他の臓器と同じである」とした。つまりモノ、物質であるとした。
デカルトは、そうでない。ココロはココロ、カラダ(物)はカラダであるとした。
なんだか、ブッダの方が、新しいように聞こえる。ココロも、モノとして捉える。すごい考え方だと思う。
スピノザも、荘子・モンテーニュと同じような視点を持っていたようだ。「万物は、神によってつくられた」。こう聞くと宗教的だが、スピノザのいう「神」とは「自然」のこと。精神も物質も、自然、大いなる自然によってつくられしもの、ということらしい。
デカルトも、ほんとだ。スピノザもほんとだ。
高校講座のその教師は、番組の最後にモンテーニュのことに少しだけ触れ、その言葉を紹介していた。
「わたしが彼を愛したのは、彼は彼であり、わたしがわたしであったということ以外に、どんな理由も思いつかない」というような言葉。
人間を鋭く観察し、深い自己反省をして「エセー」を書いた人です、みたいに紹介されていた。
エセー、ぜんぶ読んだが、かいつまんで簡単に言えばモンテーニュはそう紹介されるのか。
ラジオから「モンテーニュ」が出てきて、嬉しかった。デカルトもロックも気になる存在だったが… 「世界の名著」を買っただけで、読んでいない。たぶん、もう読まないだろう。
しかしモンテーニュはほんとにイイ。笑えてくる。懐かしい、近所にいた酒屋の主人みたいだ。幼い自分に、昔話を聞かせてくれるような…
荘子もそうだけど、大きな存在だ。「論」でなく、…「論」でないから、どうにも論じようがない。いちばん、書きたい、人なのだけど。魅力の詰まった書物なのだけど。
その魅力を表現するのが、とてもとても難しい。魅力って、そういうものなのかもしれないが、悔しい。