山川方夫のエッセイ

 久しぶりに本を読んだ。れいによって、読み返した。もう何回目か…

 山川方夫全集(冬樹社版)の5。この中の、椎名麟三の戯曲「蠍を飼う女」についてと「自由のイメージ」の二編。いずれも短いエッセイだが、やはり読みごたえがあった。

「蠍…」は実際に舞台を観ての感想。まぁ何と誠実な、真摯な、嘘のない感想か、と感じ入った。おかげで興奮して、眠れなくなった。

 もちろん山川さんのセンス、語彙、文体のスタイル、ぜんぶが文章となった形を見るわけだが、やはり山川さんの感じられた、舞台から山川さんの「体験」したこと、ここを仔細に綿密に見つめ、その舞台と自分との関係について語られている。

 率直に、正直に、ぜんぶの言葉が一つも欠けてはならぬように、そしてムダなく、スタイリッシュに。

 だからこちらも自然、一つの文字も読み落とすまい、読み落とせない、となって文を追うことになる。

 ほんとに、これだけの才をもった人が、夭折せずに今も生きていたら、どんなものを書いていたろう。晩年は文体、書くテーマも変わったように見えた。だんだん「私小説」的な、じっとりとした湿り気のある庭のような小説を書かれていたように思う。

「蠍…」は、山川さんにとって「観念的」過ぎたようだ。主人公のような姉と、その弟の二人が、「生きていない」と書かれている。

「私はそこに、入れなかった」。要するに疎外感のようなものを感じていた、と書かれている。

 これは椎名麟三の書いた小説(戯曲)全般に言えることかと思う。「観念的過ぎる」という批評は、あの「深夜の酒宴」からいわれていたことではなかったか。

 だが観念。ここから、ぜんぶ始まっているんではないか、と僕は思う。観念、個人の観念、その人の観念が、表象化されたもの── それが表現者にとっては作品であり、僕にとっては僕という生を、つまり人生らしきものをつくるものと思われる。

 そして「入れなかった」という言葉が、妙に僕に刺さった。

 そうか、観念的(過ぎて)に生きる人間は、他者が「入る」ことを拒絶する、少なくとも「入れない」と相手に感じさせるのか。それは、「生きていない」とさえ言えるものなのか… つまり、僕自身のことを言い当てられたように思えて、突き刺さってきたのだ。

 そしてもう一編の「自由のイメージ」、これも椎名さんが終生追求した「自由」というものだ。(山川さんは、べつに椎名麟三について語っているわけではない)

 山川さんに、自由のイメージは、青空であったという。

 そこにはB29の編隊が飛んでいたりした、戦時中に見た夏の空の青さでもある。

 要するに自由は、憧れのような、想い出のような、いずれにしても「今ここにない」ものだった。

 僕が感銘を受けたのは、そんな青空のような、自分とかけ離れた「自由」のイメージが、いつのまにか「かけ離れていなくなった」というふうに書かれているところだった。

 山川さんは、苦労人だ。お金持ちの家に生まれ育ったが、お父様の死、その遺産や家のことを巡って、見たくもない人間の醜悪さに立ち合い、自身持病もあり、また繊細であり── 生活面、精神面でも、たいへんな苦労をされた方だと思う。

 長男であったこと、戦争のあったこと… 老いた母、きょうだい、結婚、生きて行く上で「責任」というものを、痩せた身体に抱え、繊細であるが故におそらく過剰に、責任をしょい込んで生きた人だと思う。

 そうして、生きてこられたうちに、山川さんにとって、自由とは、すなわち今を生きること、今を生きる自分自身でしかないこと、言えば「この今、今ここ」にあって、「もう遠くに見る青空ではない」というふうになったこと── ここにも、僕は強く感じ入るものがあった。

 風景ではない。イメージ… というより、自由、それは全く、この足元、自分自身の生きる、この日常、日々の連続、ここにある。このことを、いたく痛感させられた。確認させられた。

 山川さんからは、ハッと、そしてじっと、浸透してくるような文章が多い。全く、その死が、痛い。

 僕なんかのことで恐縮だが、飛蚊症で、読んでいる最中にも眼の中を蚊が飛んでいたが、そんなものも気にならぬぐらい、引き込まれて読んだ。読まざるをえなかった。