日本に、ブッダの仏教はないんだよ。
浄土宗は法然、真宗は親鸞、空海は真言宗、最澄が天台宗だ。なぜブッダがいないか? かれの教えは、特にあれをせい、これをせいがなかった。自分で何とかせい、が教えだね、言えば。
〈わたしはまことのことわりを説いただけだ〉といっている。〈わたしに頼るな〉ともいっている。崇められたいなんて、これっぽっちも考えていなかったよ。
ソクラテスも真理の探究者だった。その通りに生きた人だった。まことのことわり、とは即ち真理だね。ブッダもソクラテスも、そこを生きた人だったんだ。
虚栄心が深い罪であることも知っていたよ、もちろん。セリーヌが生きていたら、「いいね稼ぎの乞食どもへ」って文章でも書いていただろうね、かれも人間のことをほんとうに考えた人間だった。
荘子もそうだね、面白い。読み易いし、苦悩に喘ぐ人がもしいたら、へたな指南書より余程いい。
自分の中にあるんだよ、すでに。答なんてさ。まわりの物や本、人は、その自分に与えるきっかけにすぎないのさ。
瞑想は昔自分もしてたな。結跏趺坐とか時間に捉われて、今日はこれだけやった!って達成感を求めてたフシが強い。今は寝る前に布団の中で寝っ転がってやってるな、それで充分、寝つきがいいよ。
捉われないことだった、とにかく。ところが、捉われたがるんだなあ、ココロってやつぁ。
読書の話? 今は漱石の「道草」。「明暗」がよく考えさせてくれて、面白かったぶん、こちらはさらさら読めるかな。面白いよ、まだ途中だけど。
気楽に行くこった。兎にも角にも。