椎名麟三(6)「永遠なる序章」を読み返し 2

 ところで、この小説は、主人公の安太が肺の病気で、あと、もって3ヵ月、もっと早く死ぬかもしれない、というところから始まるのだ。
 その中で、安太は、「何も意味の無いこと」ばかりに、その余命を費やすのだ。
 女の借金を、肩代わりするように、奔走とまではいかないが、なんとかしようとする。
「死にたい」銀次郎に、「でも、お腹はすくでしょう」といわんばかりに、ご飯をつくったりする。
 一切は無意味、一切は無意味、しかし、安太は、その無意味なことに、おそらく一生懸命になり、しかし微笑を浮かべながらだ、無意味なことに、精力を注ぐのだ。

 どうせ死んで行く、そういうとき、一切が無意味なのだ。だが、結局死んで行くのである、余命3ヵ月と宣告されても、平均寿命80歳とメディアが報告しようとも。
 一切は、無意味である、そうであるなら、何を信ずることができるのか。
「死にたい」人間に、「お腹、すくでしょう」とご飯をつくる安太、安太自身、「なんで自分はこんなことをしているのだろう、無意味ではないか、無意味ではないか」と思うのだ。

 しかし、安太は、「なんでか分からないが、こういうことをする自分を、信じるしかないのだ」ということしかできない。
 なんでか、分からない。ただ、意味なんか無い、ただ『そういうことをする自分を信じるしかない』のだ。