たぶん明日、キルケゴールが東京からやって来る。ダンボールで、その中に22冊… 「古書ワルツ」から梱包されて。
この古書店は「セリーヌ全集」も何冊かお世話になった。
セリーヌもキルケゴールも、ほぼ読まれていないだろう… そんなことは関係ない。
前者はあの檄文調が、感動的文体がネックになるだろう、内容も暗い、明るいとはいえないが、それが何だというのだ。ユーモアもある、読んでいて愉しい。セリーヌが読まれないのは彼の責任ではない、多く読まれるから素晴らしい作品とは全く限らない。
暗い人間なんていっぱいいる、それを抱えた… 何を無理して明るく? 電気じゃないんだ、スイッチひとつでパッパできるもんじゃない。
キルケゴールもかなり冗談の好きな人だった、難しいことなんかありゃしない、ただ読み難いだけだ、それも彼がとことん探求したからだ、何を? 突き詰めれば自己を、となるだろう。
キルケゴールの面白いところは、じっと読んでいてげんなりしながら、ある瞬間、ハッとする一文に巡り合えること。何がハッとさせるのか分からない、しかし凄い一文が入って来る、こっちの胸奥に。
「世界の名著」で彼のことを解説する文を読んでいて、やはりギョッとしたことがある。
コペンハーゲンで、通りを歩いていた彼は、通行人── 町の人達に後ろ指をさされるように馬鹿にされた、というのだった。
それまで、よくわからんなと思いながら読んでいたが、この時、いきなり自分に怒りが沸き上がったのを覚えている。
キルケゴールをバカにするな! … 小学生の頃、初めてキルケゴールに触れて芽生えた感情。それまで、何とも思っていなかったのに。
そんなキルケゴール体験が、今も続いている。彼の作品を読む時、何か知らない自分、内奥にあるのに外に出なかった自分のようなものが発見されるのだ。
22冊! まぁセリーヌも16巻だか、ほぼ読み終えたし、今年一年かければ読めないことはないだろう。
大切なのは、時代に逆行してるだの合わないだの、そんなことではない。自分の流れに沿うことだ…