「瞬間」

 やっぱりキルケゴールは難しい、「瞬間」をもうすぐ読み終えるが、はたして理解して読んでいるのか… いいたいことは分かる、わかっている気でいるが、「ほんとうにか?」というと…。
 前半は同じことの繰り返し、後半も同じことを言ってるなぁと感じつつ、それでも「わかる」手ごたえがあったが、後半のある時から急に叙述がややこしくなった。追うのに手いっぱい、追ってる間にわけがわからなく…。

 22巻、ぜんぶ読めるのか不安になる。いくら「不安」についてキルケゴールが書いているとはいえ! これでもか、これでもかと来る言葉の洪水、だから思索の洪水、あっぷあっぷ。思索、考えることをとことん続け、マラソンだこれは、と思うが、考えるってことはこういうことなんだ、この「考える」を文章にするとこうなるんだ、ということだけは解った。

 ほんとうに自分も走っていたのか分からぬが、とりあえずのゴールは近し。この後は「人生行路の諸段階」に行く予定。順番通りの初心に帰って「あれか、これか」でもいいけれどこれはもう何回か読んだ、読んだと言えればの話だが。少なくともトライはした。

 しかし「瞬間」、このキリスト教会、牧師に対する批判、否定は… この精神がキルケゴールだったんだと思う。「ほんとうの」に、とことんこだわって。こだわらずを得なかったんだと思う、何しろほんとうのことなんだから。
 これを最後に彼は死ぬわけだが、この「瞬間」にはレギーネのこと、レギーネへの愛、創作活動は全て彼女に捧げられたといわれる、その矢を引く手、その彼の手、その足が見えない。
 どこまでもキリスト教会、「ほんとうのキリストの教え」でない現在のキリスト教会と宣布する牧師たちへの批判だけに終始しているようにみえる。

 でもキルケゴールをキルケゴールとした、彼が彼である原点、この世での最初のところにはキリスト教がどうしてもあったわけで…
「何回でも読み返す」気で読んでいるが、ここまでよくわからないとそれも必然になる。「何回でも」は未来、先の話で、先へ先へと先延ばし、結局全然理解できないかもしれない。
 とにかく読む。