荘子は「死の哲学者」と呼ばれていた。
かれは、死を嘆き悲しむようなことは、けっして言わなかった。
生きることばかりがヨシとされ、死ぬことが疎まれることを、「片手落ち」と判断していたからだ。
そう、死あっての生、生あっての死、どちらかが欠けてしまえば、それはもはや生命ではないのだ。
仏教が中国に入った時、中国人はその輪廻思想を大歓迎したという。「何回も生まれ変われるなんて、素敵なことだ」と。
インドには「生きるのは苦である」とする土壌があったから、輪廻に対して畏敬的・敬虔的な態度があった。
だが、中国にはそれがなかった。死は、忌み嫌うべきものとする民族性の中で、荘子はかなり異端の存在だった。
「日本人も、なかなか荘子を受容できないだろう」と言ったのは、日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹だった。
勤勉勤労をヨシとする、きちっとした気質のジャパネーズには、荘子の哲学は容易に受け入れられないだろう、と。
──「胡蝶の夢」は有名な話だ。
夢の中で、荘子は胡蝶だった。だが、目が覚めれば、胡蝶ではなく、荘子自身であることに気づく。
「胡蝶が、私の夢を見ていたのだろうか。それとも私が、胡蝶の夢を見ていたのだろうか。私には分からない。けれども、私と胡蝶とでは、確かに区別があるはずだ。なのに、区別がつかないのは、どうしたわけか。
それはほかでもない、これが変化というものなのだ」
荘子からすれば、「変化」を「私」が「私」に見ただけであった。
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荘子は言う、「性差も人種も、病も健康も、美も醜も善悪も、異形も常形も、この世に存在しない。これらはすべて相対から成り立つものにすぎない。相対によって決められているものは、絶対ではない。」
そう、相対によって、差別が生まれる。
だが、本来、差別など、この世に存在しないのだ。人間は、この世界の一部である。
世界は、自然によってつくられた。虫が、木が、鳥が、誰が差別などするものか。
この世にある、ありとあるものは、同じところから生まれ、同じところへ還っていく。
「5000年生きている木があれば、1000年や2000年を越える木もある。宇宙など、幾年あり続けているのか、途方もない。人間は、せいぜい生きて100年だ。針の穴を通すほどの、束の間のことだ。」
時間も季節も、何を考えて過ぎて行くものでもない。人間も、過ぎ行くものだ。
何が正しいとか間違いだとか、論ずるのは、たいした意味を為さない。
その身にふりかかるものを、春の海のような暖かい心で包み、そのまま受け容れ、是認する。
そして受け容れていることさえ自覚せず、風のように生きるがいいよ──
荘子は、運命には抗えない、と言う。
でも、ぼくは、運命には逆らえぬと思ったならば、無気力に陥ってしまう、と思う。
しかし荘子は、そう考えない。虚無には、無限の可能性がある、と言い切る。何もない部屋にこそ、たくさんの光が入るだろう、と。
鏡は、ただその前にあるものを、映すだけだ。だから鏡は、無であり、空虚である。ゆえに、あらゆるものを包容することができるのだ、と。
さらには、「何もやり遂げないがいいよ。やり遂げれば、終わってしまう。何も言わないがいいよ。何か言えばそれだけのものになってしまう。そんな形に収まらず、生きるのがいいよ」とまで言う。
何も思わず、心もなくして、生きるがいいよ、と。
… こんな荘子の考えに、どんなにぼくは救われただろう。