どうして大江健三郎は、こんな文章を書けるのだろう?
最終章で、ぼくは涙が溢れた。主人公の「ぼく」が、自分と重なったのである。
この小説、昭和44年の作品である。
時は戦時中。感化院の少年たちが、疎開しながら、村から村へ、教官の指導の下に、移住を続けていた。
物語は、とある村に彼らが行き着く頃から始まった。
兵隊の群れがあった。
だが、そこから脱走兵が出、「山狩り」(脱走兵を捕えるため)が行なわれた、そんな中で、疫病が、その村に蔓延りはじめた。
動物、家畜が多く死に、村人も、ふたり死んだ。
村人たちは、感化院(今で言う少年院か。主人公も、上級生を刺していた)の少年、子どもたちを、その村に閉じ込め、トロッコでしか脱出できない、別の村へ移動した。
子どもたちは、疫病で死んだ、腐敗した動物たちの死体を埋める作業に、使われたのだ。
だが、おきざりにされたその疫病の村には、朝鮮人の移住区もあり、村人の子どももひとり、おきざりにされていた。
その子ども、少女は、母が死に、その土蔵で母の遺体の前でひとり、狂ったように途方に暮れていたのだ。
主人公の少年とその少女の間に、愛が芽生えたりした。きれいな愛だ。
朝鮮人の少年との間にも、友情が芽生えもした。まっさらな友情だ。
脱走兵は、朝鮮人の部落で、かくまわれていた。
日が過ぎる。主人公の愛した少女が、疫病に罹る。
だが、その少女、病にやられた少女を、ただ生命を助けたいがために看病し続けたのは、脱走兵だ。
少女は死ぬ。主人公と脱走兵は、おたがいのセクスを確かめ合うように、寝る。
村人たちが帰還する。疫病が去った頃合をみてだ。
村長が言う、「お前ら、明日、教官が感化院の新しいヤツらを連れてここに着く。ここで疫病が流行ったことを、口外するな。おれたちは、お前らを殺すこともできる。だが、生かしてやる。いいか。」
取り引きだ。生かしてやるから、口外するな。
少年たちは、反発する。
だが、「メシ」が出た。言うことを聞けば、「メシ」にありつける。村の女たちがつくった、暖かいメシだ。
少年達は飢えていた。次々、言うことを聞いた意思表示としての、「メシ」を喰らった。服従したのだ。
最後に残ったのが主人公の少年だった。
「喰え」と、村長が差し出したメシを、少年は拒み、言った。
「おれは言ってやる、お前らが、おれたちを閉じ込めて殺そうとしたこと、おれが(少女を助けたくて)お前らの村へ行った時追い返したこと、お前らが竹槍で脱走兵を殺したこと、脱走兵の親やきょうだいに、おれは必ずしゃべってやる。」
結局のところ、最後に残ったこの少年は、殺されるのだ。そこまで描かれていないが。
ぼくは、この小説から、とてつもないような精力を貰った。
ぼくは、ぼくの今まで体験してきた事実や感じてきた真実を、そのまま引きずって生きてやるし、それを「言い」、「しゃべって」やるのだ。
ぼくは、ぼくとして、閉じ込められてきた村での自分の行ない、生きるためにやらざるをえなかった、感じてきたことを、必ず「伝えて」やるのだ。
しかし、「芽むしり仔撃ち」、ここに記した要約、ひどいものである。
こんなもんじゃない。
申し訳ない。
我慢強く、じっと読んで、最終章まで読み進まれてほしい。