(7)朱子学、陽明学 

 結局、孔子に始まり、孔子に終わる…とまでは言わないが、あの「偉大な凡人」は浮かんでは沈み、沈んでは浮かび、ほとんどいつの時代にも必要とされた、思想史に欠かせぬ存在だった、という感がある。
 その儀礼を重んじた格式主義、形式主義とでもいう考えは、反発として墨子の「兼愛」、老荘思想の「道」を生み、孟子荀子の性善・性悪の説を生み、韓非子の「法家」を生み、さらに朱子学、陽明学へと進化した。

 この陽明学というのは、あの三島由紀夫が好んだ学問で、「人をその気にさせる」危険さを孕んだものらしい。その根本思想には、「真理は自己の内にあり、内なる欲求のままに行動するのがよい」という志向が見え隠れする。
これは孟子の性善説、「人間の本性は “善”である」の考えにも基づき、「自分の本能に従え。学問など、外には無く、自分の内にあるのだから、そのまま走り出せばよい。走れ、走り続けよ」というようなもの。

 朱子学は、孔子から始まる思想、その後に出てきた種々雑多な思想の「イイとこ取り」をした集大成のようなもので、異論の入る隙のないほど完璧なものだったといわれる。
 だが、完璧であったが故に先へ進むことができず、短命に終わってしまったという。
 
「自己の内と外」については「荘子」の中にも記述があって、「自分の外にある自然に、自分を同化せよ。天は心もないのに雨と陽を降らし、地は心もないのに万物を育てている。心や意思のない天地と同様に、人間も、心や意思など持たぬがよい」という考え方が、荘子本来の姿に近い思想だったが、戦乱時代が終わる頃になると、弟子たちは「自分の内にも自然がある。これに従って生きるのがよい」と記した。

 自己と他者、個人と社会というのは、常に哲学的な主題であるようだ。この外と内、対立するふたつが、一致さえすれば、理想の社会が実現するだろう。
だが、実現しないからユートピアなのであって、それを目指すためにどうしたらいいかと、あれやこれやと考えることに、人間存在の意味のようなものがあるようにも思える。少なくとも私は、何か考えなければ、ここにこんなことを書いてはいない。

 どうしたところで、きっと人間は何か考えたい、そしてその拠り所となる精神的な支柱、哲学・宗教といったものが必要になるらしい。為政者も、民衆も、その点では「人間」として一致する、共通の土台のように見える。
 私は、荘子の大きさに強く惹かれる。「何も思わず、何も考えず、無知無能のままでよし」とする、そんな人生への態度に、真実の影が感じられてならない。
その「真実」本体は、誰にも知られず、知ることもできない。その本体の見えない、だから無形の、意思を持たない「自然」によって、われわれはただ人間としてここにいる、というだけのことに思えて仕方ない。

「人間は、気の集合体によって出来ている」と荘子は言う。
「気」が散っている時は、何やら漠然茫漠として、散漫、無気力、怠惰、堕落、そんな自意識に苛まれる。事実、そうなのだと、力なく思うことができる。が、「気」が充実している時は、わけもなく身体から力がみなぎってくる。そこに、根拠はない。見い出そうとすればこじつけになり、遠ざかる。

「生きる意味」「何のために生きているか」など、人間が答を見い出す限界を超えたところにあるものだ。この限界の外のものによって、われわれは生かされている。そして死んでいき、外の世界へ還っていく。
「荘子」を訳した森三樹三郎は、「どんなに科学や医学が発展したところで、人間の感得する幸せの本質には宗教・哲学的な要素が含まれるのではないか」と言っている。
 形式だけでは心が失われ、心だけでは形がない。考え、求め、得ては失くし、失くしては得て、の永遠のような繰り返しを、中国思想史に見る。