方向音痴

 重度のそれである。もう10年住んでいる奈良、ここでもいまだに迷える。今日も、いつも歩いている道からちょっと逸れただけで、完全に迷った。

 暑い最中の昼下がり、絶望的に歩き続けた。小雨も降ってきて、おのれの方向音痴さに更に絶望した。

 ほんとにひどいのだ。小さな鉄工場で、現場からちょっと曲がったような、すぐそこにある食堂にも行くことができなかった。看護助手で雇われた病院は、自分の仕事場に行くこともできず、人に聞き聞き行った。

 日常生活でも、そこに行くことはできても、帰ることができないことが年に数回ある。行く道と帰り道の、見える風景が違うだけで、もうダメなのだ。よほど単純な道でない限り、絶対に迷える。

 起きている時がこれだから、寝ていても夢の中でよく迷っている。昔やっていたファミコンのドラクエなんかでも、迷ってばかりいた。スライムに会って戦ってばかりいることになり、HPだけは上った。

 脳に何らかの何かがあって、そのために方向音痴になる、と何かで見たことがある。致命的とはいわないまでも、仕事に関しての障害にはなると思う。ポスティングの仕事なんかやりたいと思うが、住宅街なんて歩いていたら、もう永遠に抜け出せない気になるだろう。

 何かが欠落しているのだと思う。それは自分でも分かる。何か感覚が働いて、「こっちだ」と言ってくるのだ。ぼくとしてはそれを信じたい。信じるしかない。だが、その感覚はほぼ間違っていて、「こっちだ」の逆が大抵正しいのだ。

「こっちだ」と言ってくる自分の感覚の、逆を行けば、正しい道に行けるのかもしれない。やってみたことがあるが、でもダメだった。

 迷うというのは、どうやら自分の運命らしい。どうしたところで迷うのだ。町の中の運命だけでなく、迷うために生まれてきたような気さえする。

 迷うことを、楽しめたらいいのだが。

 迷うということは、目的のために迷うのだ。目的があるから迷うのだ。人生みたいなものにおいては、目的を持とうとする意思が迷わせる。目的を、ほんとうの目的を持ちたい、とする意思が。

 目的を持ちたいというのが、目的であるかのようだ。

 ── そりゃ、迷うわな。