ブログを閉鎖するということについて、考えることがある。
ぼくにはよく、もうブログには何も書きたくない、ぜんぶ消してしまいたい、と思うときがあるが、なかなかこれを閉鎖という形へ実行できない。
なぜならこの4年半の間にいろんな人からコメントをもらい、やりとりし、実際いろんな人とお会いし、実際に会わなくても、ひとつのテーマについてあれこれ交わった「関係」がある、と思えてならないからだ。
もちろん、通りすがりの人もいただろうし、一時期はよく見てくれてやりとりを交わしたけれども今は見向きもしない人もいるだろう。
しかし、ぼくにとっては、たとえその時限りでも「関係」であったと思うし、その相手と自分が共有した時間が、確かにあったと思えてならない。
ブログを閉鎖するということは、その「関係」を、断ち切ることのように思えてならない。
もらった手紙を、破棄する行為にも似ていて、ぼくにはひどく勇気が要る。
以前、彼氏と別れたから、もうブログをやめます、というのを見たことがある。
けっこう多くの人がコメントを寄せていたし、やりとりをしていて、ぼくも何回かコメントをしたことのあるブログだった。ここにも何回かコメントを頂いた。
その最後の記事に対し、「えっ、やめちゃうんですか。彼氏とは彼氏との関係であって、ブログで交流した人たちとの関係は、違うんではないですか」といったコメントを入れたが、返信はなかったと思う。
一体、コメントのやりとり、ブログ主とコメント主の関係、何なんだろう、と思う。
曲りなりにも関わった人が、まるであっさりと、その関わり場であるはずのブログを閉鎖したのを、今まで何回か見てきた。
この「場」とは、一体何なのかと思う。そこで関わり合いを持つというのは、どういうことなのかと思う。