観客

 たとえばプロ野球中継を見て、夕方から夜半まで、ビールなんかを飲みながらおつまみでも食べて、贔屓の球団を応援する。しかも本気で。

 羨ましく感じる時がある。そんなに、本気で応援できることが。

 自分も、野球は好きだ。特に今は、日本ハムを応援している。でも、球場にユニフォームを着てメガホンを持って、声を出して熱い声援を送れるほどにはなれない。

 家にはテレビもないから、見ることができない。で、ネットのライブ中継、といっても試合経過、今1対0だとか、カウントがツーナッシングだとか、「人間が動いていない画面」、状況だけが分かる、昔のファミコンの画面のようなものを見る。

 ラジオでも、たまに実況している。これはリアルだ。だが、試合開始から終了まで聞くことができない。ちょっと聞いても、すぐ切ってしまう。ほんとうに、心底から好きではないのだ。ほんとうに好きだったら、最後まで聞くことができるだろう。一喜一憂を本気でできて、好きなチームを応援するだろう。

 それが、できない。といって、気にならないわけではない。とても、気になっている。だからちょくちょく、パソコンの他のページを開いていても、そのファミコンの画面みたいな試合経過を見に行く。

 あ、1点取られた、満塁か、もうダメだ、と、見ていられなくなって、他の画面へ移る。数分後、また戻って見れば、満塁のピンチを凌いだらしく、よしよし、と安堵する。またしばらく見ないでいる。そしてまた見に行けば、逆転している!なんでこんな点が入ったのか、と、テキストを見に行き、おお、マルチネスがホームランを打ったのか、やった!と喜ぶ。

 チャンスの時に見ていると、たいてい点が入らない気がするので、見るのをやめる。ピンチの時も、見るのをやめる。試合が動いていない時も、ずっと見ていられない。とにかく「ずっと見ていること」「応援を本気で、全力ですること」ができない。

 だから、試合後の「ハイライト・シーン」なんかを見るにつけ、観客席で本気で応援しているかのような人たちを目にすると、羨ましくなる。

 ほんとに好きなチームのユニフォームを着て、好きな選手の名前を書いたプラカードを掲げたりして、応援できる人たちを、羨ましく感じる。