音楽の話…「自」と「他」

 YouTubeで死ぬほど聴いているのが、ブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)の「ジェラス・ガイ」。
 ジョン・レノンのアルバム「イマジン」に収録されているのが原曲。

 ロック界のダンディズム、みたいに言われているブライアン・フェリーのこの「嫉妬深いヤツ」は、レノンのそれより好きになってしまった。
 ダンディーだなぁ、ブライアン。

 ところで、ダンディズムとは何だろう… けっこう、自己陶酔してるオーラもある。作家では吉行淳之介が「ダンディー」らしい。この人は、家族の前に現われる時も髭を必ず剃っていたとか。

 だらしなくない。カッコいい。これが二大要素か。
 しかし一緒に暮らしていたら、疲れそうだな。

 イイ人そう、というのもありそうだ。「そう」、つまり「つくろっている」、実際を見せないようにしている。
 でも人に対する時なんか、必ずどこかつくろうものだから、何が実際の自分だかもワカリャセンわな。

 そして相手は、対した相手に、かってに印象をもつ。どんなにつくろったって、ムダムダムダ。
 でも、きっとみんな、つくろってる。

 なるたけ、つくろわないで付き合える人と、そして親しくなる。
 そういう人と、親しくなりたい欲求がうまれるため。
 そのほうが、自分が楽だから。そのほうが、自分が開放されるから。

 ノリのいい音楽を聴いていると、自分が開放される気になる。
 でもホントに開放されてるのかな。
 ただ自分の好きなリズムにノッているだけのような。
 音符に、ただ自分をなぞらえているだけのような。
 
 結局、「自」には「他」が必要なんだな。
「他」がなけりゃ、「自」もどっかいっちゃうもんな。