黒と茶色の、手書きしたような縦の線、木目調の、わりとしっかりした表紙のノートに、遺書を書こうとして、実際に書いて、書いている途中でやめたのが、小学4年ぐらいの頃だった。
「 I C I YO」と、よくわからないローマ字で、表紙をめくった最初のページに、なるべく大きく書いた。
次のページから、まず家族、それからクラスメイトで気になっていた人など、ひとりひとりに向かって何か書こうとしていた。
書く気、満々だった。何しろ、遺書だったからだ。
死んでいく自分が、さいごに、それを見るだろうひとへ向けて、いいたかったことを書く。
その、何か伝えたい思いのようなもののために、胸だけはいっぱいになっていたようだった。
もう、先はない、さいごなのだ。何か、ひとに向けて、伝えようとできることも、これでおしまい。
そう思うと、いいたいことは、ノートに書き切れないほど、たくさん浮かんでくるように思われた。
だが、ぼくに書けたのは、親に向かっては、
「先立つ不幸をお許しください」
という、どこで手に入れていたのか、おきまりの定型文句のような言葉と、育ててくれて、どうもありがとうございました、という言葉だけだった。
2行ほどで終わった。
それだけで、まったく精一杯だった。
ほかに、何か書こうとしても、ウソっぽく感じられた。
いろいろと、考えて、いっぱいであるはずの胸のうちを、書こう、書こうとすればするほど、ムリだ、ムリだと思えてきてならなかった。
ひとりで、妙なセンチメンタリズムに陥っている、とも思った。
それは、確かなようだった。
そしてその穴から抜け出たところからでないと、自分の納得のできる遺書は、書けない気が、確かにしていた。
すると、死のうとすることにも、どこか滑稽な、ひとり芝居じみている気配が感じられた。
しかし、生き続けていくことにしても…
遺書を、チャンと書けずに、ぼくは不満足だった。