ここ数ヵ月、部屋が散らかったままだ。
あまり、嬉しくない。
そしてこの散らかっている原因は── 家の造り、押し入れが少ないということも言えるが── この「物」として多いのが、本なのだ。
もう読むか読まないか分からないし、あってもしょうがないように思える。
だが、これを捨てる(もしくは売る)のは、勇気が要る。
どんなに、もう読まないだろうと思える本でも、この本を失くすことは、自分をつくってきた一部を失うように思えてならない。
今まで、もらってきた手紙もそうだ。そこには、その人との関係が、関係をもった時間がある。
旅立った父の日記にしても、捨てることができない。
「なくてもいい」はずのものだ。でも、捨てることはできない。
自分をつくってきたもの── それを捨てることは、「あってもしょうがないもの」なのに、手放したくない思いに駆られる。
「断捨離」の名の下に、ぽんぽん捨てられない。
本棚、整理棚を買えば、この部屋が片付く。片付けば、すっきりする。快適になるだろう、今よりは。
だが、その棚などを買えば、その棚がまた物となって増えてしまう。
読むか読まぬか分からぬ本のために、また物を増やすことに躊躇う。
もう、そんな先も長くないと思いたいので、物をこれ以上増やしたくない。
しかしこのままでは、部屋は一向に片付かない。雑然としたままである。
こうして、あまり快適といえない部屋の中で、何やらパソコンに向かう仕儀となる。
これが今の心の現状、心の中がそのまま形にあらわれた、一つの風景なのだろう。
片づけたい。でも片づけられない。ゴミではない。でも、大切な物だ。
困ったものだ。