介護の仕事の頃(13)冬の朝に

 何か、いたたまれなくなって、早朝に街を歩いた。
 24時間営業のマクドナルド。ホットコーヒーとソーセージマフィンのセット。200円! 美味しかったし、200円は素晴らしい安さだ。
この店はやたら広く客席数も多く、二階の中央にはピアノが置いてある。窓辺の席に座りコーヒーをすすりながら、商店街を駅へと向かう人たちの姿を眺める。
店内は客もまばら。久しぶりに、ひとりでのんびりした時間を過ごした。

 まだ、どこかへ行きたい。もう1本、小道を通って並行する商店街にドトール・コーヒーがある。だが、喫煙室が満席だったので断念。
 私鉄駅界隈から、JRの方へ歩く。冷たい空気。とにかく寒い。いつか友人と入った「珈琲館」が営業中。ありがたい、ありがたい… ここは喫煙席が大きく占めている。

 チャンとした喫茶店も久し振りだ。
「こちらが今日のおススメです」とか言って綺麗なウエイトレスが何か置く。「じゃ、これで」「ありがとうございます」
 それが何だったのか忘れたが、美味しいコーヒーだった。

 マガジンラックに新聞があったので、読んでみる。新聞を読むのも久し振りだ。芥川賞? ああ、よくやるなあ。「ひと」の欄に受賞者のことが。
 面白い人だと思った。31歳で、労働経験は大学時代のアルバイト1年間だけだったとか。島の、家族のことばかり書いてきたらしい。
 トルストイの「戦争と平和」を読んで、小説は人生を描けることに気づいたとか。
 直木賞の人も、大学を中退しているらしい。
 いろいろ、感じるところがあったんだろうな… 辞めるというのは、勇気が要る。

 私も来月中旬で今の職を辞する。派遣会社に、「それまで持たなかったらどうしましょう」と言うと、笑われた。「他の就業場を探します。Kさん、よく頑張ってくれているって評判でしたよ」
 実質はどうあれ、ウケだけはいいらしい。
 もう辞めるのだ、と正式に決まると、何か怖いものがない。ただ入居者様の安全に気をつけて、1日1日働くだけ。10年近くやってきた日勤の人も今月で辞め、別のもっとイイ所に行くらしい。

 あんな偽善者のリーダーじゃ、働いていてイヤになるよ。サブリーダーに、昨夜このことをハッキリ言ってしまった。
 人間を相手にする、オトナの社会がこれじゃ、何も変わりません。前も話しましたが、コドモの自殺、いじめ、オトナがつくっていると思います。「入居者のために」なんてミエミエの嘘をついている上司の言うことに従いたくありません。

 熱くなり、いささか論理的でない物言いをしてしまった。
 どんな上司にも従わなければならないとしたら、ぼくは社会人として失格なんです。正直に言ってもみた。喜んで失格者になりたいと思いながら。
 サブリーダーに伝わったのか伝わっていないのか分からない。そもそも、私は何を言いたかったのか。

 毎月、誰かが辞めていく。今月はよく仕事のできる人が、来月はよく仕事のできぬ私が。ただ一生懸命やるだけ、ただガンバルだけ── 結局こんな働き方しかできなかった自分にも問題があるだろう。

 喫茶店を出て、大安寺まで歩く。ここは「ガンが治るご利益がある」で有名なお寺さん。
 喫煙所でタバコを吸っていると、親娘連れが真剣にお線香に火をつけようとしている姿が見えた。ライターがうまくいかない様子。そばに行って私のライターを渡す。それでもうまくつかず、代わって私がやってみる。

 線香が湿気っていたのか、なかなか時間が掛かった。空気の微妙な流れで、ライターの火が時折指をかすめる。
「手、大丈夫ですか」娘さんが聞く。熱かったけど、私も耐えた。何か知らないが、一心に心を込めた。やっと線香に火がついた。

 心って、通じるだろうか。私はその心を知らない。