曖昧なままに

 こないだ注文したミニラジオが届いた。(最近のアマゾンからの配送業者はピンポンを鳴らさず、玄関の前に無言で「置き配」することが多くなった。昨日も家人が注文した品が届いたが、すぐそばのキッチンに私がいるにも関わらず(物音が聞こえていたと思うのだが)、ソッと置いて出て行くようだ。いつからこうなったんだろう?)

 ニュースを聞けば、「京アニ」(?)殺人の初公判が行われました、とアナウンサーがまず言う。何年か前にそういう事件があったことは知っていたが、当時私は一体なぜこの事件が大きく取り上げられるのか分からなかった。テレビもミニラジオもなく、ネットのニュース記事の見出しに多く見えただけで、詳細を知ろうとしなかった。

 戦後、最も多くの方が亡くなった殺人事件であるらしい。そして昨日の初公判では、傍聴を望む人が500人位、並んでいたらしい。

「どうしてこんなことをしたのか、知りたくて」インタビューに答える、並んでいた人の声がラジオから聞こえた。

 500人といえば大変な人数だ。傍聴席は35しかないらしい。それでも多くの人がこの裁判に大きな関心を持ち、「どうしてこんなことをしたのか」実行犯の、その理由を聞きたかった…?(たぶん他の理由で傍聴したい人もいたと思うが、ニュースで取り上げた声はこの一つだけだった。番組ディレクターとしては、この声が、500人位の人の「代弁」のように取り上げたかったのだと思う)

「どうしてこんなことをしたのか」。

 しかし… いやな、いやな事件は、よくニュース記事で目にするし、この事件がどうしてこんな、ほかの同じ殺人事件より多くの関心が寄せられるのか、その理由が私にはやはり分からない。

 亡くなった、その数の問題なのか? 多くの方が亡くなられないと、犠牲にならないと、人は関心を寄せない…?

「どうしてこんなことをしたのか」。それは、この事件に限らず、人が人を殺傷する、その「犯人」ぜんぶに聞きたい。その気持ち、そんなことができるに至る、その気持ちを知りたい。「殺したい」と思い、…憎しみだとか怒りとか、その気持ちが、どうすれば、そんな大それた、酷いことができてしまうのか、その心理の過程を知りたい。

 一線を飛び超えさせてしまうもの。憎しみの大きさ? いくら、どんなに誰かを憎んでいたとしても、そんな、実行できるものでない。それが、どうして行動に移せるのか…

「有識者」の声や「精神鑑定者」の分析でなく、そんなことをした本人の、本人の声、本人の心、本人の心を本人の言葉で聞きたい。それをほんとうに知りたい。