… と書いて

 汚点、自分の汚点と思えるようなことを記す、晒すのは、なんともげんなりした気持ちになる。汚点? 引け目だ。

 リッパな服を着て、リッパなてい・・をなし、わたしはリッパなんですよ、という人もいる。リッパな人なんだろうなと思う。

 だが、それだけに私には思えない。何がそんなに立派なんですか、どうして人を見下げるような態度をとれるんですか、と問いたくなる。

 私は知っているのだ、ほんとうに立派な人は、人を見下げないことを。いかにも立派そうな態度を取ったところで、それはメッキみたいなもので、薄く、脆く、猫被りのようなものであることを。

 ほんとうに立派な人は、それが自然に、コップから溢れた水みたいに零れ落ちて、そんな雫から自ずとこちらが感得する。その人は、穏やかだ。そして思慮深い(ように見える)。

 相手に、何か弱点がありそうでも、そこへ攻撃的な目を加えない。そっと、優しい(そうに見える)目で、一瞥するように見やる。

 そして「リッパさ」にこだわっているような私は、てんで立派でない。

 いつかの朝、カウボーイハットを被って、土手の入り口のところで犬のおしっこをさせていた初老のような男がいた。私はそこを通るので、彼と至近距離になり、「おはようございます」と言いたくて相手の顔を見たが、彼はソッポを向いていた。

 それでも私は挨拶をすべきだったろうか。相手がこちらを見て、そのタイミングで私は挨拶をしようとしていた。あれは、挨拶なんかしたくないという、また犬におしっこをさせているという、何か良心の呵責のようなものも手伝って、彼はソッポを向いていたように思われる。

 ああ、よくう〇ちがここにあるのを見るけれど、この人がここにさせているのか、とも思ったりしてしまった。

 近所の人でないから、まだ助かる。べつにカウボーイ・ハットを被ろうがチョンマゲであろうがどうでもいい。その「挨拶をしたくない」というような態度が、私はいやだった。

 ある時は、橋の向こうに住む老人が、私の家の前に来た。彼は杖をつき、腰はの字に曲がり、もしかしたら認知症かもしれない。一度、橋の向こうを私が歩いていた時、彼は落ち葉の掃除をしていた。杖で身体を支えながら、小さな箒を動かしていた。

「こんにちは」と下を向きながら言われたので、私も少し笑顔で「こんにちは」を返した。それだけの「関係」だったが、二、三ヵ月前か、彼が一人で私の家の前にやって来た。

 たぶん私が買い物帰りに、橋の手前で左へ曲がったのを、彼は橋の向こうで見ていたのだ。その姿が見え、こっちの方へ歩いて来る様子が私には見えていた。

 帰宅後、自室にいると、庭先で家人の「大丈夫ですか」という声が聞こえた。まもなく彼女が部屋に来て、「大丈夫かな、あのおじいちゃん」みたいなことを言う。

 口笛を吹くような音がして、庭仕事をしていた彼女が振り返ると、そのおじいちゃんが土手に立っていた。「ここは行き止まりですよ」と言うと、「助けて下さい」と老人が言った。

「大丈夫ですか」びっくりして彼女は訊いたが、特に何ということもなさそうだった。それから「おうちはどこですか」「帰れますか」みたいな話をし、どうということもなく老人は来た道を戻って行ったらしい。

「ああ、あのおじいちゃんなら、さっき俺の方をじっと見ていたから… たぶんちょっとボケてるんだと思う。ずいぶんこっちの方まで来て、〇〇さんちの前の落ち葉を掃除したりしてる。大丈夫だよ」

 私はそんなことを言って、まったく心配をしなかった。いつか、その老人が、家族らしい人から何か注意されているような姿も見たことがある。

 ── 朝からこんなことを書いて、ポストを見たら回覧板。何も重要な知らせはなく、少し離れた家のポストへ入れに行く。ついでにドラッグストアへ買い物に行った。

 帰り道、ふと、ああ、俺は何にもなかったんだと思った。俺には何にもない、何にもなかったんだ。

 だからすぐ持って行かれてしまうんだ。何にもないから、影響を受け易い・・・・・・・んだ、何にもないから、人を気にしてばかりいるんだ。

 自分には、何にもないからだ。

 何もない。そう思えた。すると、気持ちが一気に軽くなった。

 そうだ、何もなかったんだ…。