奈良について

 奈良に住んで10年?位になるが、なかなか人に馴染めない。

 自分が「半ひきこもり」であるせいもあるが、奈良で勤めた工場、介護施設、旅館の皿洗い等、そこで出会った従業員は、ほぼ奈良から出たことのない人たちが多かった。

 大阪・京都までも電車で一時間ほどだし、生まれ育った地元である奈良を出て生活をする必要もなかった…? 地方の大学に行った人も、やっぱり奈良に帰ってくるのかしら。

 それぞれにもちろん事情があるだろうけれど、どうも奈良の人とは馴染めない感がある。これは漠然としたものでもあるから、説得力のあるものではない。しかし何か閉鎖的というか、垢抜けない? 盆地という立地条件下の空気のせい? まとまった、ムラ的な、イナカな感じ? 都会的な繊細さのない感じ? ── こう書くと、何だか悪いことを言っている感じがするが、そんなイイ・ワルイの問題でなく、「ああ、こうなんだ」という、奈良に住んでの感想である。

 といっても、JR奈良、近鉄奈良(近所)、竜田川、法隆寺、奈良市内の一地域(勤務先)の空気や人間としか触れていないから、じつに狭い感想なのだが。

 身近なところでは、商店がある。その店主及び従業員は、もちろん人によって違うのが大前提だが、どうもテキトーな感じがする。

 奈良に限った話でないかもしれない。が、どうも、おとなしくそこで落ち着いてしまったような、言ってしまえば「他の世界を知らない」ような、「自分はずっとここにいるんだよ」的な、盆地的な感じの人が多い印象がある。

 これはたぶん永遠にうまく言えない。私自身が変わった(人に対する求めるもの、自分の感じ方といったものが変化した)ことも大いに関係する。

 閉鎖的に感じるのも、私が閉鎖的であるからかもしれない。だが、それを踏まえても、今まで住んできた関東地方(大雑把にいえば神奈川、千葉、埼玉)、東海地方(岐阜、愛知)に比べると、イナカさ加減?がかなり濃い感じがする。どうも空気に、広がりがない、閉塞的な何かが… いや、絶対うまく言えない。

 愛知は豊橋に10年ぐらい住んだが、あそこはちょうどいい感じがした。新幹線の「こだま」は停まるし、スーパーや本屋、電器屋も商店街も居酒屋も充実していた感があって、住み易い町だった印象がある。店の主人や従業員も、あまり悪い印象がない。

 大企業に雇われていた自分の精神的・肉体的な充実もあった。奈良では、半ひきこもりの時間を多く費やしている。自分の問題もあるだろうが、何かこう、うん、うまく言えない。

 今日は久しぶりに(コロナ禍以来)東大寺の方へ散策した。大仏への参道辺りでは、けっこうな観光客の人混みだった。鹿もチャンといて、小さなバンビが可愛かった。

 ここは観光地。観光で成り立っているんだろうなあ、財源とか、市の基盤的なものが、と漠然と思った。でも、ちょっと横道に行けば住宅街、そこではまるで観光と関係ないように、あたかも一般的な、普通のサラリーマン的な家庭?、そんな感じの家々が連なっている…?

 いやいや、なんとも収拾のつかない文になった。

「どこにいようと、私は私だ」。そんなふうには、なれないのかしら。住む場所って、けっこう影響あるんだろうなあ。北国の人、南国の人、山陰、山陽、日本海側、太平洋側… そう、東京も池袋や上野と、渋谷・新宿じゃ、全然違う人がいるような感じがした。

 何なんだろう。まあ、いいや。