環境

 近所に二軒、犬を飼っている家があって、けたたましく朝に鳴く。夜にも鳴く。小型のそれらしく、キャンキャンとよく響いて来る。

 私は想像する、もし子どもの頃にこのような犬が近所にいて、母などが「うるさいねえ、まったく」とうんざりした顔で、眠い目をしばたたせていたら、私は犬ぎらいになっただろう、と。

 いつかも書いたが、こういう場合、飼い主がおバカなのだ。犬は、近所迷惑のことなど考えない。迷惑(人の気持ちに立って考えること)、これは迷惑になる、と考えることができるのは人間の素敵な性能なのだ。その性能を生かさない── おバカさんだと思う。

 子どもの頃、私がワガママで飼い始めた犬のクロは、ある夜いきなり吠え始めた。私は新聞紙を丸め、クロの頭をたたいた。次の日の夜も鳴いたので、また新聞紙を丸め、ガラス戸を開けた。するとクロは、急いで縁の下に隠れた。

 叩かずに済んで、私はホッとした。同時に、クロ、お利口だなあと思った。それからというもの、ピタリと全く鳴かなくなったからだ。

 もちろん体罰はよくない。よくないどころか、大反対だ。暴力なんか、何も生まない。相手に恐怖心を与えるだけで、何の「教育」にもなり得ない。

 だが、やはり私は近所迷惑になることを恐れた。自分だって、うるさいと思った。犬は吠える。自然なことだ。だが、住宅街で犬を飼うということは、人間社会の中で犬を飼うということだ。ひょっとしたら、これ自体がもう、不自然であるのかもしれない。わざわざ品種改良?みたいなことをして、人間が飼い易いように製造された犬もいる。

 体験上、小型犬はよく吠える。クロは雑種の中型犬だった。サベツに繋がる考え方だが、犬種に依るのかもしれない。昔マンションの隣人が飼っていたポメラニアン、今近所にいるのはチワワか何かだと思う。小型犬特有の、カン高い声。

 でもミニチュアダックス君や比較的小さな柴犬などは、吠えているのを見たことがない。そのワンちゃんの性格もあるだろう。しかし柴犬は可愛い…

 ── この世を憂うような気持ちになることが多い。今までも何回か書いたが、インターネット、それもスマホの影響は甚大だと思う。ただでさえ自分だけのことを考える人間が、自分だけばかり・・・のことに、とことん埋没できる環境、モノに支配されてしまったと思う。

 Twitterなんか絶対やりたくない。フォローし合って、いいね!を集めて、一体何がしたいんだ? 「同意」されて、「共感」されて… 気に入らぬ相手を攻撃して(しかも集団でそんなことができるのだ)… 薄いよ。高山の空気より薄い。人を自殺に追い込むことだってできてしまう。

 でもほとんどの人が持ってるんだよな、スマホ。町を歩いていても、前方から来る人間がスマホを見て、下を向いて歩いているから、どっちの方向へ行くのか分かりゃしない。

 退化したよ。ヒトは、退化したよ。