アドバイス

 結局私は人に、「こうしたらいい」とか、そんなアドバイスはできない。

 こういたらいいんじゃないかなぁ、自分だったらこうします(こう考えます、こう受けとります、受けとめます)と言えることぐらいが関の山、精一杯だと思う。

 よく、「こうしたら絶対に・・・いい」もしくはそれに近い言い方で、「これがいい」と断言するように言ってくる人もあるが、そんなことを言われたら最後、私はその人を疑う。

 よほど自分が求める答、もしくはすでに私の中に出ていた答に近かった場合は、その人に同意し、その忠言に従うが、それ以外は馬耳東風、曖昧にうなずいてその場をしのぐだろう。

 ほんとうに困って、ワラにもすがる思いで、誰かに私の判断を任せる── そういったことは、今までついぞなかった。どんなに親身になってくれたとしても、その親切な気持ちは分かれども、その人と私の「違い」を痛感することの方が多かった。

 あまり私は人様のブログは読まないけれど、そのタイトルなどを見るにつけ、やたら「アドバイス」的なものが多く感じる。そういうものが、たとえばPV数などの上位にいるから、目につくだけかもしれない。

「生きづらさ」みたいなカテゴリーでは、書き手の求める読者対象と、対象となる読者のニーズが、一致しているのかもしれない。小さな世界だと思う。これはブログを開示する場所、運営サイトが求めるものでもあって、どんどん細分化、カテゴリーを細かく区分けすることで「顧客」も増えるし(精神病的なものには、なんと沢山の病名があることだろう!)自然サイト自体のボリューム、情報量も一見豊富に見えるからだ。

 また、何より、前向きなブログ、明るく、ぐだぐだ考えない前向きな内容、そういう体裁のものが、運営側としても重宝する。何しろそのサイトを成り立たせる広告、商品を売るための広告、そして買ってもらうための「意欲」は、前向きでなくてはならないからだ。

 斯くして、あまり何も考えず、いや、よく考えるのは悪だとさえするような風潮がうまれ、前向きに、地面、下など向かず、前だけを見つめようとする、笑ってしまうような流れができあがっている感じがする。この流れが、すなわち「社会」であるような気がする。

 内向するものは、あまり外へ出づらい。目につきにくい。言えば、いいね!の相互供給も、そんな活発にしないだろう。私には、そういう人の方が、信じられる気がする。