ずいぶんがんばったが、とうとう眠れそうにないのでまた書いている。
こういうことをしていると、また身体をこわす。
午前一時。頭もまだ痛い。眠れない原因は、明らかだ。
不安。考えることから生じる不安。
不安になって考えるから、また不安に拍車が掛かる。拍車が掛かったものを止めるには、相当のブレーキが要る。ブレーキがかからない。どんなに踏んでも、止められぬ。
こうして書くことで、ゆっくり、ゆっくり、減速していく。その間に、時間が過ぎる。時間が過ぎれば、眠くもなろう。
何を書こうが、きっと眠くなる。
考えているだけでは止まらないのに、書き始めれば減速するのは何故だろう?
形になるからだろう。どんな形であれ、形になる。
私の不安。遅かれ早かれ、やって来るはずだった不安。
昨夜、私は二つの、この書き物の所属先を辞めた。そこに属していれば、まだ、人に読まれるだろう、実際読まれていた「所属先」を辞めた。
自ずから、望んだ。ひとりになって、「読まれる」などという意識をなくして、書こうとして。
これが、この眠れない原因だ。
誰にも目につかぬ、気づかれず、ネットに公開こそすれど、誰の目にも留まらぬような場所でひとり書いている。
いけすから飛び出て、おっきな海にでも出たような気がする。情報、情報、夥しいネット情報の海! 大袈裟だが、そう感じるのだから仕方ない。
そんなに、「人の目につきやすい場所」にいたかったのか。そんなに、「自分はみんなと違う」と思いながら、「みんな」の中にいたかったのか。
そんなに読まれることを望んでいたのか。そんなに読まれたかったのか。
大袈裟ということは、自分がひとりで、事を大きく捉えているのだ。他者にとっては、どうということはないよ。お前が死んで、何も書けなくなっても、誰も気づかないよ。
そうだ、私の、ここにいる私の存在は、誰かが気づいている。孤独死すれば、いずれ誰かに発見されるだろう。
だが、私の書いたものは発見されない。誰にも気づかれない。
とすると、… 私の今まで書いてきたこと、これから書こうとすることに、一体何の意味が… というところで、私は言いようもない不安、あの「何のために書くのか」、「何のために生きているのか」と同等の、不安、空虚さのようなものに襲われている。
仲間、同じ「書く」という仲間のいけすに、自分がいない不安。自分から飛び出したくせに、そのために不安になっているこの事実… ああ、こういうふうに生きてきたんだよ。
ふさわしいじゃないか? お前は、こういうふうに生きてきたんだよ。
不安、不安!。お前は、こういうふうに生きてきたんだ。
いいではないか。全く、いいではないか。
これで、眠れるかな?