奈良にいる必要もなくなりそうだ。来年の春、鬼の笑う四月辺りが、関東にもし引っ越すとすればその機会になりそうだ。
家を売る、また引っ越し先を探す。面倒だなぁ、死にてえなぁと思うが、仕方ない。
来週も東京と埼玉、川を隔てて行ったり来たりする。やるべきこと、行って、必要とされるかのごとくであるのは、いいことだ。
単なる自己満足でない、複なる自己満足。それぞれに、満足が行けばいい。
しかし奈良… 離れれば、ここもいい所だった、となるのだろう。
どこに行っても、一人では生きて行けない。基本はひとりだとしても、パートナーもいるし、息の続くかぎり生活をやっていくことになる。
まったく、何で生きてるんだろうねえ。
こないだ夜行バスで着いた東京、空気が、… 精神的な肌触りが、何か違った。揺られたせいでなく、「人が動いている」ことが強く感じられた。
懐かしさより、現実、「今ここ」が動き、動き続けているなぁと感じた。先月も行ったばかりという、時間のせいだったろうか。
しかし先のことを想うとつらい。どのくらい先か? 先に、制限はない。不安は無限だ。
近間の「予定」を一つ一つ、やっていくしかない。しないこともできる。しようとし、することもできる。さしあたり、後者を選びたい。
尊重すること、人を尊重すること。このことについて、こないだから随分思うところがある。
尊重するということ…
尊重したいとする自己(我欲)があり、尊重したいとする対象(人)がある。
この両者が、互いにそれで嬉しくあれば、ユートピアのひとつ、できあがり。