要するに、希望なんてのは

「こうでありたい」とすること、そいつは他者を巻き添えにする。
 希望は恣意だ。
「こうでなくてはならん」とか「こうでありますように」とか。願い、望みといったものは。
 穴倉の中でひとり、断食行者、生き仏みたいにそう願う、その分には誰の足も引っ張るまい、誰をみちづれにすることもあるまい。
 希望というのは、ひとりで抱くものだ、誰に対してでなく、ひとり、自身に抱くものだ。己自身に対して。その身、のみに対して。
 たとえ私が飢え死にしたとして、目新しいものではない。よくあることだ。家が倒壊し、私の死体が見つかったとしても驚くことでない。何も今に始まったことでない。こと地震によるその後に関しては、何度も繰り返してきたのに対策どころか無策のままにきた政治の責任だ。来ると分かっていても、事後にどうするかをまるで想定せず、いつだって後手後手にまわる。ガレキ一つ、どかせやしない、宇宙に行く科学も地上では役立たずだ。
 地球が動く、今に始まったことではない。こいつを「災害」と呼ぶのは人間だけだ。地球が動いた、生命が動いた。今に始まったことでない。一でなく、多の生命が「奪われて」! それを災厄とよぶことは…
 自然は、地球は、人間の敵ではない。