さて、もう395話、一昨年の三月から始めたこれも、また長くなってしまった。
 ひょんな時に思い出して、あ!あの時の話と話の間に、あの夜の気持ちの話を差し入れたい… そんな時がある。そんな時は不意に来て、長い話の中にも自分の中に流れのようなものがあって、この話はあの話の頃に挿入したい、そんな時、あまりに長いと不便なのだ。240話近辺にそれがあるとする、そこに新たな話を1話挿入したら、それ以降「第〇話」の〇を、1ずつ訂正、1つ数字を足して行かなければならない。不毛な時間だ。

 で、あと1話、次の話を書いて、396話でひとまず区切りをつけて終わり、また別の作品(!)のていで始めたいと思う。するとまた作品(!)数が増えて、もうないと思うが万が一「お気に入り作者」に登録された場合、いわゆるランキングでこの「かめ」の作品(!)の書影ばかりが幅を利かせ、ほかの作者さんの作品を押しやるような形になってしまう。作品数が増えることでいやなのは、そのことだ。
 といって、登録されること、いいねなんかをもらうことは、恥ずかしさと同時に嬉しくもあるという、自分の気持ちをどう処したらいいのか自分でもわからない気持ちになる。読まれることは嬉しい。これは間違いない。書くだけ書いて、あとは気にしないのが一番いいんだろうけれど…。

 よく家人からも言われた、評価や数なんかに捉われちゃダメだと。ごもっともなのだ。さらに辛辣に、人の評価なんてすぐ変わるんだから、とのたまう。書いて、多く読まれりゃ嬉しい、そんな気持ちが根本からひっくり返される。一体、十五年位前、彼女は僕の文章をどうして好きになり、読み始めたのだろう、今は全然読んでいないが。

 きっと今年もすぐ終わる。十年も二十年も。今まで書いた文章は、バックアップをとっていない。このサイトがポシャれば、それまでだ。特に未練はない、文章がなくなることに関しては。交流した人たちとの繋がりみたいなものがなくなることに比べれば。
 このサイトがなくなるとしたら淋しいが、自分の書いたものがなくなることを想像すると、むしろせいせいする気もする。「形」になっていた過去がなくなるということは。それでも、まだ何か書くんだろうか?
 何にしても、時間が過ぎる。人が何をしようが、世界がどうあろうが、時間は知ったこっちゃないのだ。

(某投稿小説サイトに載っけた文章)