無限の容器

 それにしても、よく生きながらえてきたもんだ、まったく、奇跡だよ!
 わたしの役割は何なのかね? 生きて、死ぬ。それならできる!
 そのあいだに、何をするべきなのかね?
 何のために生まれてきたのかね?
 目的を持たされず、つくられた存在、それが人間らしいが!
 モノである身体に、モノでないものが入っていて。
 見つめることのできないものを見つめようとする…
 
 クラシックの指揮者にカラヤンというのがいるが、どうも彼はつかみどころがない。
 ウィーンフィル、ベルリンフィル、「あるもの」の力を、すでにあったものの力を引き出した── 音響効果をいかに引き出し、いかに美しい音に聴かせるか── いわばビジュアル効果、あるものの魅力の引き出し方、魅せ方にひどく長けた人だったのではないか?
 彼から、彼という、彼自身というものが、どうも感じられない。「彼の指揮だから」という先入観をもって聴くわけだが… そして聞けば、うん、彼の演奏だ、と納得するわけだが… 音がそう聴かせるのであって、彼というもの、彼がそこにいる実在感のようなものが、とてもとても薄いのだ… いるのは分かるが。ほんとうにいるのか? と雲をつかむような…

 大きな存在というのは、計り知れない。どこまでという際限がない。無限の容器だ。
 確かにカラヤン、というだけで、カラヤンだったんだろう。こちらは、カラヤンというだけで、カラヤンだとして聴く。そしてやっぱり!となる。ほんとにわかってんのかな、と、どこか空虚なような気にもなる。空虚というのも、無限なものだ… 存在しているのか、していないのか… 形容し難い、無限にすべてを受け容れる…