とにかくブッダがやっていたことに間違いはないらしい。
わかる気がする。
瞑想の起源なんて、もう何千年も前、誰が始めたのかも分からない。
さしあたってソクラテスの「自己の中に学ぶ」、
キルケゴールの「他は自己を知るきっかけ」、
荘子の「無為自然」、
モンテーニュもしていたらしい瞑想、
それらのもの、自分が気になって仕方ない先人たちの共通項、
それが「瞑想」という形になっただけで、それ以上も以下もない。
何のためでも、誰のためでもない。
ただ生きているという、それを感じる、観ずるという以外、特に。