実家に行った際、兄とはよく文学の話をする。これが紐帯のようなものかもしれない…
永井荷風全集を読み終えたらしい。荷風は人間ぎらいで、編集者をはじめ色んな人の来訪がイヤで、朝飯を済ませると夜までずっと外にいたという。毎日おきまりの店でカツ丼を食べ、夜もやはりお店で、恋愛関係にならぬ割り切った社交的な交際というか、そういう所で夕ご飯を食べ。
身体は元々強くなかったが、80歳まで生きた。
三島由紀夫は編集者が来る時間になると、わざわざ玄関先の庭で裸になって日光浴をし、やって来た編集者に肉体美をそれとなく見せていたというから、荷風と全然違って面白い。(編集者は、またやってるよ、とうんざりしただろう…?)
三島はやはり憎めない。最後まで、演技を貫いた! 太宰については、「自分と似ているから嫌いだ」と言っていたとか。太宰は天才的で大好きだったが、太宰を認めてしまうと三島自身が立てなくなってしまう。確かに、自分とあまり似ている者とは友達になれない…
三島じたいが作品だった。あの人だけで充分、作品なんか書かなくても、思ってしまう。
滑稽なところ、本人はどんなつもりだったのか、こちらが想像するしかないが、苦笑するしかない(愛をもって)、そして勇気を与えられる気になる。
そうせざるを得ないからそうした。そうして生きた。ほんとうだったと思う、三島は。
森鴎外がやっていた活動も共感する。亡くなった人の「自分史」を、鴎外がいわば代筆したような活動。
遺族の証言、故人はどのような人生だったか、ということを鴎外は取材し、実際に故人が行った土地などに出向き、ここにその人がいたのだという確認、実証をし、それを書き続けるという活動。
いったい何人の「個人史」を鴎外は書いただろう?
誰だって小説家になれる。自分のことを書けばいい。
葬式なんかでも、故人がどんな人生だったのか、どんな人で、どんな生を送ったのか? 知らないでお焼香することが多い。ちょっとした小冊子にして、こんな人生でした、と参列者に渡したりするのもいいと思う。
荷風の全集、後半はずっと日記であったらしい。天気のこと、今日は何をしたか、何を食べたか…
しかしやはり三島が!
時代、時間。誰だってその中にいて、すべからく「そういう時代の人」であったとしても、三島はかなり特別だ。誰だって不世出だ。でもやはり三島は…
どんな言葉も見当たらない、あの人を形容する言葉は。しいて言えば、「よくやった!」?、いや、言い表せない…。