帰省

 正月休暇。東京へ、家人と。
 お墓参り。花を添え、水を掛け、しんみり。
 年末年始、お参りをする人も多かったのか、他のお墓にもずいぶん花が生けられていた。

 お寺を出ると、雨が本格化。
 子どもの頃に遊んだ公園や商店街を歩こうと計画していたが、やめた。
 約束の時間より早まる電話を入れ、実家へ。
 15歳上の兄もあによめも元気そうだった。

 私にとっての、この世で唯一の兄弟であり、最後の家族。姪や甥もいるが、ほとんど交流がない。
 血の繋がりが実感でき、幼い頃から炬燵でみかんを食べた、現存する唯一の存在が兄である。

 話は自然、10年近く前に旅立った両親のことになる。
 母の認知症は、「お父さんがいない」と言い出したことから始まったということ。

「お父さんは、布団に入って寝ていたんですね。母にもそれは見えているのに、いない、いないと言う。目の前にいるじゃないか、と言ってもダメなんです。
 これは推測ですが、『若いお父さん』が母にとってのお父さんで、『お父さんはこんなお爺さんではない』という思いがあったんじゃないかと思います」
 兄が言った。

 父は最後までボケることはなかったという。少なくとも、兄・嫂に見える限りは。
 耳がほんとに遠かったので、どこまで「理解」し、ボケていないと確言できるかどうかは、よく分からない。

 認知症の検査でも、まあマトモ(?)に医者と応対していたらしい。
 しかし、ほんとうに耳が遠かったのだ。母がおかしなことを言っても、全く聞こえていないに等しかったと思う。

「ここに、おしぼりがある。でも、おしぼりがあることを、見えていても、ない、という人がいる…」私が言うと、
「そう、父はそこにいたんですけど、母は、いない、と言う。同じことなんですけどね」兄が言う。

「おしぼりがあってもなくても、たいした問題ではないんだけど」と私が言う。
「うん、たいした問題ではなかったかもしれない。でも、あの時は否定してしまったんですね。いや、『お父さんはあそこにいるじゃないか』と」

「うん、それは否定しなくてはならない…」
「しかし、ほんとうに父がそこにいたのか。いるんですけど、母にとっての父ではなかったんですね。とすると、父というのは一体、ほんとうにいたのかどうかという…」

 公務員を定年まで勤めてきた兄は、真実は1つではないことをいっぱい見てきたという。
 真実とは何かという問題について話し合う、このおかしな兄弟の会話を、私の家人も嫂も爆笑しながら聞いていた。

 帰り際、玄関横の庭に、父が大切に育てていたというムクゲが、枝だけの姿で空を向いていた。
 とても大きく、「夏にはいっぱい花が咲くのよ」と嫂が言う。
 父も母も、この世の生命をまっとうした。子である私が言うのも妙だが、自分にはもったいないような、立派な両親だったとほんとうに思う。