お前はもともとそういう奴だったな。性欲は旺盛だったが、生欲には希薄だった。
今も変わりなかろう?

生きたいとする意欲が薄いって? まあね。死にてえなあ、とはよく思うさ。これはもう離れられないな。

そこで俺はよく考える… 自分にとって切実な問題なのだがね。
死にたいと考えるのはお前のアタマだ。
でも、カラダは生きたがっているんじゃないか?
そこのところを、お前はどう自分の中でオトシマエをつけているんだい?

アタマを理性だとする。カラダを本能だとしよう。
この二つの、全く相反する二つのものを、お前はお前という一つの存在の中に抱えているんだ。
理性と本能。この、あたかも真逆の二つのものを、お前は一人の内に抱えている。
死にたいと生きたい。
理性が、本能を制覇している状態のまま、お前はその願望通り死ぬとする。
そう考えた時にだ。お前は何の未練もないのかい? ほんとうに満足して、ああやっと死ねる、と満足して死ねるのかい?

苦しんで死にたくないね。俺の望み、最初で最後の望み。苦しみたくない。
そのために、日々、穏やかに、朗らかに、生きたいのだ。
習慣だよ! これが自分の血となり肉となれば… いまわのきわに、肉体が、精神が、どんなに苦しくたって… 朗らかに、穏やかに、死ねるような気がするのだ。

死までの準備期間、ウォーミングアップが生さ。
だからなるべく、苦しい時も悲しい時も、笑っていたいのさ。

── そんなに理性というのは強靭なものかね?

理性と本能の一致。合致。
戦争なんてのは本能むき出しのものだ。残酷性は、人間本来的にあるんだよ。恐ろしいものだ、それは。
それを止めるのは、この相反するものの一致、合致なんだ。
人間個人、一人の中でだってね!
どちらに偏っても駄目なんだ。
煽られたり、同調意識を働かせたり、自己顕示欲の疼き… そういうものにまかせて「戦果」を発揮させたら駄目なんだ。自己顕示欲も本能だ、同調するのも本能だ。誰だってひとりはイヤだからね。

ひとりはイヤだから認められたい。ひとりはイヤだから同調する。
たとえそれが間違ったことだとしても。それを「発揮」する場所を求めて…

正しい/間違い、善/悪。この判断は人間にしか持ち得ないものだ。
ところがだんだん、少なからぬ人々に、この判断が失われている… 「人間として」という考えが、放棄されようとしている… つまらないや自分のことばかりに躍起になって… そんな気がするよ。

── ところで、本能的になる時間、理性的になる時間があるだろう?
時間によってそれは出現する。時間差攻撃だ。理性と本能の同時両立なんて… そんな顕現できるのかね?

一方に自分がモノにされたら、もう一方は出る余地もない。
常に〈第三者的自分〉、二つの相反するものを見つめる自分を大切にすることだ…

話を戻そう。
理性と本能。お前は理性に捉われすぎてるよ。そんなに理性、強く、大きくなれるものかい? 本能を制覇するほどに? 死にたいは、生きたい本能に反するよ。お前がしようとしていることは、どうしたところで無理があるように思えるよ。

〈人間は二度死ぬ。まず精神が死に、次に肉体が死ぬ。〉
キルケゴールの言葉も、わかる気がするが…

まぁ、お前はもういっぱい発信した。ネットを利用して、言いたいことを言った!
〈社会〉に向けていっぱい書いた! そうだろう?
もう、いいんでないかい? お前はネットを満喫した!
もう、いいんじゃないか?…

このところ、また腰が。
おいおい、また書くってんだな、カラダのことを。アタマを使って!