介護の仕事の頃(9)「もう辞めてやる」という働き方

「みんながこうしているのに、きみだけそうしないのはオカシイやろ」
 正社員として勤めた唯一の職場・スーパーマーケットで、店長から言われた言葉。
「休憩中も、みんなとコミュニケーションをとるように。みんな、そうしとるんやから」
 現職場で、上司がのたもう。

 前言は、無意味と思える朝礼、気分が悪くなって倒れる従業員がいながらも長々と朝礼をする店長に、私が反抗的な態度をとったのが原因である。
「開店してすぐいらっしゃるお客さんも多い。通路に未開封のダンボールを置いておくより、品出しをして通路を開けておきたい。朝礼を短くすれば、その時間ができる」旨を伝えたが、「ここでは昔からそうなっとるんや」とすげなく却下された。

 以来、私は朝礼の時間、いえばフテクサレていたのだった。具体的には、「みんながピシッとしているのに、きみだけダランとしている」ということだった。まったく、私には馬鹿みたいな時間に思えた。社訓をお経のように唱えたところで、気をつけ、礼をいかに軍隊のようにやったところで、一体何がどうなるというのだろう?

 店長との関係は悪化した。こんな「会社のしきたり」に脳を空っぽにしたように従う他の従業員にも不信感を覚えた。
 当時私は結婚3年目位で、子どもも小さく、社宅に住んでいたが、半年でさっさと辞めてしまった。もう少しでボーナスが出たのに、などと言われたが…。

 現職場でも、「みんなと同じ」になることが、どうも大切なようである。しかし、そう言っている上司そのものが、全く「みんな」から信用されていないのだった。だが「みんな」は彼が上司であるということから、妙にへりくだって何も異を唱えず、まるで従順そうに振る舞っている。

「聞き流せばいいですよ」と誰かに言われても、おかしいことはおかしいと私は思う。で、それを口にすると、私がオカシクなるのである。
 人との交流は好きだ。話をするのも聞くのも大好きである。ただ、両の足が地に着いていない、ただ「こうなっているから」とか「みんながそうだから」という理由での交流は不得手である。

 実は、この文章、「学校のイジメなど無くならない。オトナ社会が、こうなのだから」といった内容を書くつもりで始めたのだが、失敗に終わるようである。
 結局私も自分のことに忙しい、つまらぬオトナであるのかもしれない。
 この頃の働き方は、心情として「介護職員どうしの関係、ほんまにややこしい。私はただ今日の仕事をしよう。もう辞めてやるんだ」と思いながら、さっさと業務をこなしている。そう思っているだけで、けっこう楽である。