Hallelujah

── 今年も九月になった。
日中の暑さは健在だが、夜には虫たちがリーリーリー。
夜中、しんみり聞いていると、センチメンタルな気持ちになる。

── かれらに死の概念はないだろう。でも「時」を知っている。
この知っているも知らないも、人間が規定したものにすぎないが。

── かれらは、もうすぐ死ぬのだ。と、私が思う。
かれらの季節が終わることを、私が「知っている」からだ。
だがかれらには初めての、そして最後の、たった一つの季節なのだ。

かれはもうすぐ死ぬ。でも、かれらの生命は死なない。
一匹一匹は死んでいく。でも、かれらは同じような声をして、また来年鳴くだろうからだ。

── かれは死ぬ。
だが、かれらは死なない…

── 人間に、かれらのような生命の引き継ぎができているか?

── 致命的なほど決定的な被爆を生む、処理もできないゴミを出しながら原発を稼働させる。
傷つけ合い、殺し合い、果ては戦争だ。
知恵の輪を拡げるどころか、輪を疎ましく面倒臭いものとして抹消させる。

権力者は金儲けに勤しみ、利権にばかり取り組んで。
権力を持たない一般市民はスマホに囚われ、好きなものばかりを見ようとする。
権力側も、被権力側も、時間は「今の自分の要求を満たすこと」を何より第一に費やされることに変わらない。

── 先のことは、知らない。知っているが、フタをする。
知ろうとしない。知りたくもない。知ったところで、どうする?だ。
今しかない。今のヒトには、だから私には、今だけしかない。

一つの季節しか知らない虫よりも、はるかに刹那的だ。

── 為政者、権力者たちのせいにしていいと思う。社会的な、というところはね。
でも、彼らをのさばらせ、その上で生活をしてきた自分のせいにしてもいいと思う。

「自分さえ良ければいい」── それが万人、人間の、だから私の本性だとしても、あまりにも、あまりにもそれが過ぎている…

政治には関心がない。誰がやったって、と自分も思う。
そして自分の好きな世界だけに埋没しようとする。
他人のこと、外の世界のことはなるべく気にしようとせず。意に介そうとせず。
自分も、そういう人間なんだと思う。

まわりに、自分では気を遣ってるつもりでも、相手にどう伝わっているか分からない。迷惑なことかもしれない、関わり合うことは。
そしてそんな、まわりに気を遣うどころか、周囲と無関係でありたいと思う時さえある。

── 思うツボだ。
外に無関心、内へ内へと向かう、こんないきかたは。
外で、世の中で、この世を動かす者たちの思うツボだ。
そんな奴等がいたらの話だが。
いるんだろう、きっと… あの「人類を愛した作家」セリーヌによれば。

── まるでどんどん無力になっていく。
力が、外に向かなくなる。外は、見える。わかりやすい世界だ。
数字、上下、優劣、評価…
それも広告が幅を利かせ、利用者の購買意欲を掻き立て、金を回すばかりを意図した「世界」の。
錬金術師がいっぱいの世界の。

── うまくできている。実に美事につくられた人造湖だ。
どこまでが湖か、分からぬほどの…
世界中の人が「これが世界だ」と言って、仕方なさそうに泳いでいる。
この水面から飛び出したところで、玉座に構えるお偉い方々の陸があるだけか。

── いやいや、そんな絶望的なことばかりじゃないはずだよ…