空き缶

 ここ連日、空き缶が捨てられている。
 家は公道から橋の手前を曲がった土手沿いにあるのだが、ここは土の道で、ポイ捨てし易いと見える。
 で、自分がその空き缶を拾い、すぐそばの公民館のリサイクルステーションに捨てに行く。だが、こうも毎日捨てられると、だんだん腹も立って来る。
 先日家人と買い物へ行く時、またしても空き缶を見つけた。
 私は「ほんとに毎日だよ、俺がいつも拾って」と言った。言えば、腹立ちが紛れるという人もいるが、私は人に言うと余計腹が立って来る。自分の内で片づけている分には小さいものが、口にすることで肥大化するのだ。

 腹立ちの対象による。自分自身の問題でモヤモヤしていたり怒っている時は、確かに軽くなる。だが職場のイヤな上司のことなど、実際にいる人に対する文句を誰かに吐き出すと、そのイヤな上司のことが自分の中で大きくなって重くなる。
「聞いてもらう」相手のこと、「言う」自分のことも、一つの対象から拡がって、考えなければならなくなるせいである。
 空き缶は自分が拾って捨てればいいのだし、イヤな上司は自分と彼の問題、ひいては自分の中の問題であって、聞いてもらう相手には特に関係のない話だからだ。

 一昨日捨てた空き缶が、また昨日も捨てられていた。私は、自分が捨てるんで、調子に乗って捨てられるのではないかと考えた。毎日一缶捨て続ければ、溜まっていくだろう。ポイ捨て主は、一缶だから捨てるのであって、二缶三缶と溜まっていくのを見れば、流石に躊躇し出すのではないか?
 で、放っておいた。今朝も、昨日のままに道の真ん中に転がっている。
 今日そして明日、今後どうなっていくか、ちょっと楽しみである。
 もっとも、川に捨てられるより、よっぽど良い。