虚妄。
このネット(またぞろネットのことか!)は、殊にその数字は、虚妄に満ち満ち溢れてひっくり返っている。原形も留めない、留まることを拒む!
数を稼げない… このことが、既に虚妄、数自体が虚妄! この虚妄のためにどれだけの人が失望し(それも虚妄!)、もう書くのを、投稿するのをやめたろう… そして! 残っているのは、目につくのは、鼻にもつくのは、数数数、数だけを集めたものが満足気にまた更新をする…(それも虚妄!)
虚妄のために、くるくる回っている! 俺もその一員! この虚妄! 明治の時代、漱石の本をあれこれ読めば、女が「妄あたし」と云っている… 一人称、「わたし」が「妄」、「妄」に「わたし」のルビがふられている。
漱石は、時代もあるだろうが、「女性蔑視」と捉われかねない表現が少なからず見られる。
太宰は「ヒト/サルと分ける前に、女/男を分けるべきだ」(それほど別種の生き物である)ということを云っていたし、山川方夫はもっと紳士的な云い方で男女の違い、もはや決定的に違うということを、生物学上だか細胞学上だったか、とにかく違うのだということをキチンとした云い方で云っていた。
… それは虚妄である、と言えない。そう痛感することが多い。まるっきり違う!
だがだがだが、それはいい! 違いがある、ヨシ! 虚妄でない、断じて! だが、虚妄なのだ、虚妄はその存在じたいでなく、その存在と存在が虚妄なのではなく、それを見るこっちの目が虚妄… なのかな?