ここに何か書く── 投稿すれば誰かに読まれるかもしれないことを想う。いろんな人が、いろんなことを書いている記事も目にする。一匹の魚である私が、まわりを見る。大抵が文章である。読み易く、短い言葉で、長文であっても、むろん「読まれること」を意識して書かれている、と感じつつ。
ああ、まわりがこういうふうに泳いでいる… 私は自分のかきかたを省みる。自分の泳ぎ方を省みる。一定の方向にまわる魚たちの流れに、逆行しているような気になる。キルケゴール? 椎名麟三? ナンジャソリャ。
まわりの流れに沿おうか、と勝手に感じる「まわり」に勝手に「迎合したい意識」がはたらく。
意識は、かきかた、思考の仕方と無関係ではいられない。
浅く、のっぺりと、分かり易く書け。意識がそう手招きする。
「note」に「ブログ村」や「人気ブログランキング」と似た空気を感じる。体裁が違っているだけで、泳ぐ魚に大差ない。
これは何なのだろう? この感じを説明したところで、まわりの魚たちはこの水槽の流れを当然としている。何ということもない。
good grief!