キルケゴール

 面白かった!「反復」。舛田啓三郎さんの訳。気が付いたら午前0時。夢中で読んでいると、なんと時間がいつのまにか! 集中せざるをえない吸引力に吸い込まれるまま読んだ。
 こうなってくるとキルケゴール、もっともっと読みたくなる。昨日「誘惑者の日記」をアマゾンで。

 これは全く自分のためでしかない、それで充分だ、この人の著作は感想なんか書けるものでない、ただ元気になる。すごいものを秘めてる、孕んでる思想家… こっちの中にあるものが引き出される、内向しているものが目標を具体的に失ってジタバタ外へ向かう、走り出したくなる、どこへともなく。沸騰してヤカンのフタが持ち上がる。

 よからぬことも考える。「全集」。去年はセリーヌ全集に明け暮れ、今年はキルケゴールか… 仕方ないか、子どもの頃にわけもわからず受けた「この人はほんとうのことを言っている」という真っ直ぐ一直線の核弾頭を顔面に受けたような衝撃、胸に入って来たこの人の〈存在〉。

 やっぱり読まなきゃいかんのだろうな、読みたいというより食べたい… ほとんど生理的、栄養補給だ。
 しかし今回は何がきっかけで? 何か「反復」というワードが身体のどこかに残っていたのか、確かセリーヌの「ギニョルズ…」を読んでいた時か、いきなりキルケゴールの「反復」が出てきた、文章の中でない、自己の内側からにょっきり!

 そして注文… 日本の古本屋。涙ぐましい、全22巻揃、19500円也。喰うためには豪華すぎる食事… 仕方ない運命だと思おう、贅沢な、身に余るディナー… このちっぽけな胃袋で喰えるのか? 時間をかけて咀嚼しよう、ゆっくり何回も。この世にいるまで読み終えられれば良し。ずっと自分にいたんだキルケゴールは。

 三連休のド真ん中、まだ注文取消しはできる、しかし購入しない方がよほど後悔する。出費は痛すぎる、でも出費しない方が後悔する。本の状態がどうであれ、読めればいい。読んで、ふれることによって(彼のは読むというより一緒に歩いていくことになる)、ともに息を吸って行ければいい。