前に「絶望名言」というラジオの一コーナーのことを書いた。
ほんとうに絶望している時、人は明るい言葉を受けつけない。励ましは、苦しいだけである。明るく前向きにポジティブになんて、ほんとうに絶望している人間には遠い。この時の自分に寄り添い、ほんとうに励ましになるものは、絶望的な言葉だった。けっして、希望的な言葉ではなかった── というご自身の体験から、開始された一コーナー。
そうだと思う。まったくその通りで、うなずくしかない。だが、そのコーナーになると、自分はラジオのスイッチを切ってしまう。聞く気になれないのだ。自分がそこまで絶望していない、というより、絶望はひとりでするもの、という妙な信念のようなもののためと思う。
そのコーナーの成り立ちには全くもって共感する。だがその内容は、それを聞くことは、拒絶する。自分の絶望を大切にしたいのだ。聞いて、すでにこのような放送があるだけでいい、充分だというのに、さらに共感する、共感に共感の重箱… そんなに、食えない。
自分が自殺について書いてきたのも、この番組開始の動機と似ていた、と言ってしまえる。だが、どこかに、しかし確かに引っ掛かりがあったのもほんとうだった。どこまでも「共感」を、「あなたはひとりでない」といったような、ひとり孤独のうちにいる人に、「あなたはひとりじゃない」とでもいうような、いやそれはその人がこちらの言葉をどう受け取るかに依るのだが、共感を求めるということに、自分は引っ掛かりをうっちゃることができなかった。
で、自分を解体、自殺を考えていた時の自分をとにかく詳細に、ちゃんと書こうとして書いた。書きながら、(自分に一生懸命になって、ほんとうに自分のことに精一杯の人は、こんなものを読まないだろうな)という諦めも、うっちゃることができなかった。読むというのは体力が要る、そんな、疲れた人に、長い文章なんか…と。
人のために何かする、というのも、やはり引っ掛かりを綺麗さっぱり拭い切ることができないものだった。介護の仕事に関わっていた時、これはただ困った人をたすける、ただこの人ができないことをこちらが手伝わせて頂く、これは仕事以前の、(おそらく人として)当然のこと、と思おうとしていた。実際、そう思っていたつもりで、そう思っていた。仕事、というのはただの形で、ただ当然のことをしているんだ、と。
それは身体的な、だから具体的に「お手伝い」のできることだった。だが精神… 気持ち、その「死にたい」気持ちが、動機はどうあれ心の中のことである。この「お手伝い」、この「たすけ」とは?
結局自分のことを書くしかなかった。
寄り添い、というのも、何やらキレイゴトのような言葉で、恥ずかしさを感じる。いくら自分がしたいことがそれであっても、言葉にしたくないものだった。
「絶望名言」のコーナーは、もちろんラジオ番組であるから、それっぽいピアノ曲を冒頭に流したり、聞き手と喋り手の役割も決まっている。これだけで、もうスイッチをやはり切ってしまう。
自分は、やはり自分の絶望を大切にしたいのだ。絶望はひとりでするものだ、唯一無二の、わたしの絶望なんだ、邪魔されたくない── そんな狭隘な心根もあるかと思う。いや、「やらせ」とまで言わないが、わざとらしさ、いかにも、という、こちらが「わかった」つもりになっているものを、あえて聞いても、たいして意味を持たない、というほうが近い。
といって、まだチャンと聞いてもいないのだ。それでも「わかる」「わかった」気になっていること。こんな気になる、ということそのものが、絶望的な、絶望をする自分自身の根底をつくるもの、とも思う。
そして昨夜(ほぼ今朝)も、そのコーナーになった時、スイッチを切ってしまった。