最近、死にたくなることがなくなってきた。
むなしさは、波のように来るけれど、べつに泣けることもなく、そのまま受け流している。
死にたいと思わなくなってしまうのは、何となく淋しい気もする。
死にたいなあ、と似たような気持ちになることはある。
そういう時は、きまって身体が疲れている時である。
風邪を引いた時や極度の寝不足、偏頭痛の時、つまり自分の身体が思うように動かなくなった時、今までのオレの人生は何だったんだろう、と痛恨の気持ちに駆られる。
今までつきあって頂いた、友達、仲間、知り合いと接してきた自分について思いを巡らす。
穴を掘って入りたい衝動にかられ、もうどうにもならない無力感にしんとなって、頭の先が未来に向かう。
希望が、ない。仕事は? 文章は? お金はどうなった?
時間だけが確実に過ぎて行くことにハッとして、いろんな想いがいっぺんにワッとやって来る。心臓どきどき、こころザワザワ。
これは一体、何なんだろうなあ、と思う。これはきっと、病院に行ったら、何かの病気と診断されるんだろうな。
しかし、そんな診断を自分は受けつけないだろうな、とも思っている。
仮に精神病院に行ったとしても、大手を振って堂々と私は帰ってくるだろう。
「今日は、どうしました?」から始まって、医者があれこれ訊いてくるのに、私は適当に答えるだろう。
しかし、ひとりでいた時の心のざわめきは、家を出た時点で半分、病院のドアを開けた時に70%、待合室で90%、消えてしまっているはずである。
──こんなヨノナカに生きてんだぜ。ビョーインなんか来たら、みんな精神病になっちまうぜ。
私の頭の中には、こんな思いがかたくなにある。この思いには、根拠のない自信があるので、医者と対座する頃にはシャキッとしている自分が目に見える。
病気を治してくれる病院、それを宗教のように信仰するこの世の通念。クスリを沢山バラまいて、そうして手っ取り早く儲かるのは医療機関、健康保険発行元、しょせんは国。
そんな構図が、がっちりハマったシステムみたいに見えて、私は自分をしっかりさせなければと思うだろう。
これだけで、私は治癒されてしまいそうだ。
私は世の中をバカにし、下らないと思い、ナメているのかもしれない。
その反動で、せめて身近にいる人くらい、大切にしたいと思ったりもするのかもしれない。
そしてだいじにしたい周りの人を、ほんとうにだいじにできているのかといえば、自信がなく、また心がざわめくのだった。