(13)この頃

 最近、死にたくなることがなくなってきた。
 むなしさは、波のように来るけれど、べつに泣けることもなく、そのまま受け流している。
 死にたいと思わなくなってしまうのは、何となく淋しい気もする。

 死にたいなあ、と似たような気持ちになることはある。
 そういう時は、きまって身体が疲れている時である。
 風邪を引いた時や極度の寝不足、偏頭痛の時、つまり自分の身体が思うように動かなくなった時、今までのオレの人生は何だったんだろう、と痛恨の気持ちに駆られる。

 今までつきあって頂いた、友達、仲間、知り合いと接してきた自分について思いを巡らす。
 穴を掘って入りたい衝動にかられ、もうどうにもならない無力感にしんとなって、頭の先が未来に向かう。

 希望が、ない。仕事は? 文章は? お金はどうなった?
 時間だけが確実に過ぎて行くことにハッとして、いろんな想いがいっぺんにワッとやって来る。心臓どきどき、こころザワザワ。

 これは一体、何なんだろうなあ、と思う。これはきっと、病院に行ったら、何かの病気と診断されるんだろうな。
 しかし、そんな診断を自分は受けつけないだろうな、とも思っている。
 仮に精神病院に行ったとしても、大手を振って堂々と私は帰ってくるだろう。

「今日は、どうしました?」から始まって、医者があれこれ訊いてくるのに、私は適当に答えるだろう。
 しかし、ひとりでいた時の心のざわめきは、家を出た時点で半分、病院のドアを開けた時に70%、待合室で90%、消えてしまっているはずである。

 ──こんなヨノナカに生きてんだぜ。ビョーインなんか来たら、みんな精神病になっちまうぜ。
 私の頭の中には、こんな思いがかたくなにある。この思いには、根拠のない自信があるので、医者と対座する頃にはシャキッとしている自分が目に見える。

 病気を治してくれる病院、それを宗教のように信仰するこの世の通念。クスリを沢山バラまいて、そうして手っ取り早く儲かるのは医療機関、健康保険発行元、しょせんは国。
 そんな構図が、がっちりハマったシステムみたいに見えて、私は自分をしっかりさせなければと思うだろう。
 これだけで、私は治癒されてしまいそうだ。

 私は世の中をバカにし、下らないと思い、ナメているのかもしれない。
 その反動で、せめて身近にいる人くらい、大切にしたいと思ったりもするのかもしれない。
 そしてだいじにしたい周りの人を、ほんとうにだいじにできているのかといえば、自信がなく、また心がざわめくのだった。