ぼくにとって「親孝行」は、自分が一流企業に勤めるとか、有名人になるとか、そんなものだった。
つまり「社会的にエバれる地位に立つこと」。そうならないと、親孝行を果たすことにならないと思っていた。
自分が「社会的に胸を張れる人間になって」初めて親も、ぼくを微笑んで見、微笑む親を見てぼくが「親孝行をした」と思えるだろう、と。
期間従業員とはいえ、大手自動車工場に勤めていた時は、父母もどことなく、にこやかにぼくを見ていたような気がする。
「作家になりたい」とやんわり言った時、「またそんなこと言って…」とげんなりされた。
結局ぼくは、会社員にもなれず、著名人にもなれなかった。でも、こう書いていて、微笑を禁じ得ない。
一体、そんな「社会的地位」が、ほんとうに親孝行だったのか、と本気で思えるからだ。
たとえぼくが総理大臣になっていたとしても(!)、悪行に身も心も染めていれば、ちっとも親孝行でない。
自分がエラくなれば親孝行になる、なんて、どこから持ってきた考えだったろう。
では、どうすれば、具体的に親孝行ができたのか。これも、情けなくも思い浮かばない。
電話でも、実家を訪ねても、数分で話すことなどなくなったし、親子の間で話すべきことなど、何もなかったように思える。
「元気?」「元気」、それで話すべきことのぜんぶが終わった気がする。
自分が親不孝者だった意識はあるけれど、孝行息子だった意識は皆無だ。
24で家を出て以来、実家に帰ることは年に一度、あるかないかで、数年帰らなかったこともある。
もっぱら電話のやりとりが多かった。それも、年に数回…。
こんな不出来な自分に、なぐさめのような、でもホントウだろうと思える言葉をもらったことがある。
「元気でいてくれることが、親にとって、一番ありがたいことなのよ」