「戦争が起きていたり、国が政治家に妙な方向へ舵とられても、なんでみんなおとなしいんだろう」という意見に、「みんな、SNSでいいねをもらうことに一生懸命なんですよ」というコメントが寄せられたのを、ネットのニュースか何かで見た。
「この国( japan)は、個人主義になってますからね」とか。
まるで個人主義=自分のことしか考えない、とでも言っているかのように聞こえる。ほんとかな。
個人主義って、自分のことしか考えない、ということなのか?
個人を尊重すること。自分がそうであるならば、まわりの個人に対しても、同じように尊重すること。
集団(常識だの普通だのは、多勢に無勢の多勢から大抵うまれる)でなく、個人を、集団の中に見るのでなく、個人から集団が成っていることに重きを置いて見ること。
自分のことだけを考えるのでなく、その自己には他者、人間が含まれること。
人間について、自分がしっかり考えること。自分が考えるのは、私のことではなく、人間のことなのだ、ということ。
そう言い切れる個が、確固としてあること。
自己の内に、他者はある。自意識=他意識。
この二つを見る、三つ目の眼に栄養を与えて、成熟した人間が、初めて「個人主義」と言えるような気がする。
~主義、というのも、なんだかなぁ。と思う。
でも自分がこういうスタイルで生きている、ということが、きっとその主義ってやつなんだろう。
「無主義」も、主義になる。ああ、そんなだいそれたものはないのに、そうやって被写体をパチリと写し、「~主義」のタイトルを無意識に付け、自分の部屋に飾って見る。ココロの部屋。
こいつはこういう奴。あいつはああいう奴。自己のフレームをもって、ヒトはものを見る。自己は、他を見る。
いちど、そんなフレーム、取っ払ってしまいたいものだ。
生きてる基本、生きる基本。
誰がどうしたの、何がどうだとか、そんなことより、生きてるだけ、生き抜くだけで、たいへんなこと。
戦中戦後のこの国も、きっとそうだったろう。
戦争がなければ、その基本に立ち返れない? おい、そんなことはないだろう。
物が豊かになると、自分勝手な人間が増えて、助け合うことなんかしなくなる? … そうなのかな。勝手にできるだけの、モノに囲まれるから?
意識、意識。
どこに重きを置いて、やってくか。
その置き場所で、きっとこの世、変わってく。