戦争って、一種のヒステリーだよな。
始めた権力者も、動員された兵士たちも、極限状態にあるんだ。
「ヒステリーは女の特権」と、むかし言っていた人もいたけれど、男のヒステリーは根深いね。
風邪みたいに、ちょくちょくひいて、小出ししていた方が、健康的かもしれないよ。
溜まりに溜めて、過ぎた過去のことなんか持ち出して、うじうじしながら一気に爆発するタイプが、オトコには多いかもしれない。
何やら日常で、堪えているつもりになって、何かの弾みに暴発するんだ。
憂鬱症の場合、時間は一箇所に止まっている。ある一点のところに、時間が止まって、そこに永遠のようなものを見ている気になる。
そして時間が過ぎていくことに慄然とする。自分だけが取り残された気になって、この世でひとりぽっちになった気になって。
「結局自殺にしても他殺にしても、攻撃ですね。ヒステリーも憂鬱症も、人間は攻撃的にできているんですね」
むかしの人は言った。
殺、とまでは行かないまでも、責めることは攻撃になる。
自己を責める、他者を責める。
「どちらも責めない、そんな人間があるとしたら、それは最も平和的な人間ですね」
誰か相手を責めたとしても、冗談で、笑い合えるような関係。そんなユーモアと、相手との関係をよく分かっているような人からは、実に平和的な雰囲気が感じられる。
明るく、穏やかな空気が周囲に広がっていく感じがする。
その相手には、自己も含まれる。
平和的な人を、気に食わない人がいる。そういう人に対しても、冗談を言って笑い合えるような関係が築けたら、もう怖いものナシだ。
強さも弱さもない、大きな〇が世界を包み込むような、世界が大きな〇へ変わっていくような。
きっと世界は、もともと尖っていない。地球だって丸いんだ。
喰い、喰われを繰り返したって、それは〇で、ぐるぐる回る〇を描くだろう。
尖ったものをなくすこと。異質なものも、異形のものも異端のものも取り込んで、大きな〇になっていくこと──
何も、大きくならんでもいい。小さくてもコロコロ転がっていけば、土なり雪なりが自然にくっついてくる。汚れやシミは、仕方ない。それさえ、取り込む。結果、それなりのものができあがる。
そんな人間になりたいものだ。
「女性の政治家が、もっと増えればいいのにね。男は所詮、タネ馬だからなぁ。生命、宿った身体を産みだす女性なら、みだりに戦争なんかしないんじゃない? せっかく生んだ生命を殺そうなんて」
「そうかなぁ。自分の子どもと、他人の子どもは違う、って見るんじゃない?」
「差別と区別は違うっていうけど、どうなんだかな。『別』をつくる芽の質は紙一重、ほぼ表裏一体、ただ言葉あそびしてるだけのようにも思えるな」
「結局、女も男もなく、根本的には攻撃性を何とかしなきゃならんのかな」
「いや、何もしないこと。何もしないのがいちばんいい。平和だよ。何かするというのは、常に罪が伴う。何かすることは、した時点で、もうよくないことをしている。どんなイイことも、ワルイことがつきまとう」
「ああ、そんな意識も面白いね。常に、何かすることは、ワルいことをすることになるんだ、という意識── 」
「何かする時は、いつも、わるいことをしている意識をもって、やるんだ」
「… ムリだよ。そんなんじゃ、やってけそうにない」
「慣れだよ、慣れ。〇には、対角線もない。対極のものもない。コロコロ、すみません、ごめんなさい、って心から謝って、泣きながら転がってけばいいんだよ」