穏やかな世界

 そう、よくパチンコをしたなぁと思う。

 大当たりして、お金に換金することを夢見て。たくさん、お金を費やした。

 夢の中に生きていた、幸せな時だったと思う。

 今や、もう怖くてできない。

 たまにはやりたいと思う。でも、あの店の中でガンバルことが、いかにも無意味に思えてしまう。

 夢を見る場所が、変わったのかもしれない。

 夢。そう、この夢というやつも、「生き甲斐」となり得るだろう。「このために生きている」と言い得るものになるだろう。

 その夢に向かって生きている時、死にたいなどと考えもしないだろう。

 その夢が挫けた時、何やらもう、生きている意味もなくなったような気がして、虚無になってしまうのだろう。

 夢の実現に向かっている真っ最中は、たとえ苦しくても、何とか頑張ろうとすることができるからだ。

 しかしその夢が、たとえば「世界平和」(!)であるとしたら?

 世界なんて個のかたまりであるのだから、個々が幸せであれば、すなわち平和な世界(!)ができあがる。などと夢を見たところで、という話である。

 ここでさらに夢に夢を重ねてみれば。

 ひとりひとりが、平和に、穏やかに、幸せそうに暮らせる世界(!)があるとしたら。

 ひとりひとりが、ぼーっと、白痴のように微笑んでいるだけでいいのではないか。

「狂ってる」。その人を見て、ある人はそう言うかもしれない。

 しかし、そう言う人だって、ひとりでぼーっと微笑んでいる時があるに違いないのだ。

 たまたま、ひとりでぼーっと微笑んでいる人を、その人は見てしまっただけなのだ。

 その人は、何も刃物を持ってあなたを殺傷しようなどしていない。

 ただあなたは、その人をおかしいと思う。「おかしい」と思うから、何やら不安になる。理解できない気がするから、何やら危険を感じたりもする。

 だが、その人はただぼーっと、微笑んでいただけなのだ。あなたのことなんか、見てもいない。

 攻撃性もない。夢の中に、ひとり佇んでいるだけである。

 この世が夢のようなものであるとしたら、誰もが夢の中に生きている、夢に飼われた囚人のようなものだ。

 むりに、鉄格子の外へ出ようとしなくていい。そんな力も、ないだろう。

 ひとりひとりの格子の中で── それぞれの夢を見ながら、夢の中に生きるがいいよ。