人世

 いつも見る、おじいちゃんの姿が見えなくなった。
 歩いていると、よくすれ違った。
 肺か喉か、ご病気をされたのか、コー、ホー、とでもいう機械的な呼吸の音が、開けている口から聞こえてきた。

 あまりにもよくすれ違うので、おじいちゃんも私に気づいていたかもしれない。

 いつか、家人が、「あのおじいちゃん、また歩いていたから、こんにちは、って挨拶したら、ニコッて笑ってくれた!」と喜んでいたものだった。

 ひと夏、一度もすれ違わなかった。

「近隣の迷惑になります。無責任な餌やりは、やめましょう」
 そう書かれた看板の下で、今日もノラ猫さん達に、せっせと餌をあげるおばあちゃんがいらっしゃる。

 ご自宅の玄関前に、いつもひとりで座って、往来を眺めていたりする。
 猫が、おばあちゃんにとって生き甲斐のように、大切な存在なのかもしれない。

 銭湯で仲良くなった、87歳のおじいちゃんもお元気だ。
 毎日1万歩歩き、いつもニコニコして、楽しい話を聞かせてくれる。
 
 私は老人が好きだ。今まで、長く生きてこられて、きっといろんなことをご存知だ。
 戦後のこと、人と助け合ったこと、労働のことや家庭のこと、体験を通じて、目に見えない生きる知恵のようなものを、体得なさっている気がする。

 男がいっぱい働いて、女が家を支えるのが当然だったような時代。
 戦後、高度成長、いろんな時間をたくさん生きてきたのだと思う。

 何だかんだ、この国に生まれ、税金をおさめ、貢献なさってきた人たちである。
 老年になったなら、生活にかかる最低限の金銭が保障され、多くの人が幸福な笑顔の毎日が送れる、そんなヨノナカになってほしい。